楊令伝 十五
天穹の章(てんきゅうのしょう)
新しい国の実現を賭けて、梁山泊軍は南宋軍と最後の戦いを続ける。
宣賛は、自由市場を認めるよう金国と交渉を始めた。
やがて自由市場は江南を席巻し、物流を握る梁山泊の勝利は目前と見えた。
だが、百年に一度の大洪水が、梁山泊を襲う。
数多の同志の死を胸に秘め、楊令は吹毛剣を手に、敵将・岳飛の前に立つ。
混迷の時代に、己の志を貫いた漢たちはどう生き、戦ったのか。
楊令伝、夢幻の第十五巻。
天穹の章 目次
地異の光
天殺の夢
天孤の夢
天地の夢
天地の光
天穹の章(てんきゅうのしょう)
新しい国の実現を賭けて、梁山泊軍は南宋軍と最後の戦いを続ける。
宣賛は、自由市場を認めるよう金国と交渉を始めた。
やがて自由市場は江南を席巻し、物流を握る梁山泊の勝利は目前と見えた。
だが、百年に一度の大洪水が、梁山泊を襲う。
数多の同志の死を胸に秘め、楊令は吹毛剣を手に、敵将・岳飛の前に立つ。
混迷の時代に、己の志を貫いた漢たちはどう生き、戦ったのか。
楊令伝、夢幻の第十五巻。
天穹の章 目次
地異の光
天殺の夢
天孤の夢
天地の夢
天地の光
天立の夢
砕けていた。
歳月がそうさせたのか、なにかにぶつかったのか、わからなかった。
欧元に持ってこさせた私服に着替え、楊令はその袋を卓の上に置いた。
布の袋も、古び、擦り切れている。
触れるだけで、中のものが砕けているのはわかるのだ。
しばらく、楊令は袋を見つめていた。
鄭天寿が、崖の途中にあった薬草を、その命と引き換えに採ってきた。
ただの草だが、おまえにとっては無上に大切な命だ、と言った秦明の声が蘇る。
水気が抜けて、硬い、草ではないもののようになっていた。
魂は、こめられていた。
どれほど変形しようと、こめられた魂はそのままだった。
「欧元」
楊令は声をあげて、従者を呼んだ。
部屋の入り口で、欧元が直立した。
「水をくれ。冷たい水を、飲みたい」
「かしこまりました」
欧元が姿を消し、すぐに盆に載せた椀を持ってきて、卓に置いた。
そのまま、出ていく。
楊令は、袋の中身を、卓上に出した。
粉のようになったものと、まだいくらか形を留めているものがあった。
粉に指を押し付け、付着したものを口に入れた。
次々にそうして、粉ひとつ残らないようにした。
水で、飲み下す。
冷たさだけがあり、それが鎮まるのを、楊令はしばし待った。
それから、形を留めているところを、口に入れた。
口の中で、じっとその形だけを感じた。
なにか、懐かしい、いや、もの哀しい味が口に拡がってくる。
しばらく、飲みこむことも,口から出すこともできなかった。
それから、水と一緒に飲み下した。
擦り切れた袋も、爪で引き裂き、呑みこんだ。
なにもなくなった。
そんな気がした。
拠りどころが、なにもなくなった。
それから、一体になったのだ、と自分に言い聞かせた。
鄭天寿の気持も秦明の言葉も、もともとかたちにはできないものだ。
楊令は、碗の水を飲み干した。
「呉用と宣賛を、呼んでくれ」
欧元が部屋の入口で直立し、駆け去っていった。
しばらくして、呉用と宣賛がやってきて、腰を降ろし、覆面を取った。
「南宋軍は、岳飛と劉光世を討たないかぎり、何度でも立ち直ってくるな」
「と言っても、兵力だけのことだ、楊令殿。
しかも、無理な徴兵が、南宋の民の不満を募らせている」
呉用は、剥き出しの歯を、舌で舐めながら喋っていた。
宣賛も、同じような喋り方をする。
「すでに、かたちとしては、南宋を江南に押しこめつつある。
江北から張家軍が撤退し、残っているのは、黄陂の岳家軍だけになっている」
「岳家軍と対すると、腹背を衝かれませんか、呉用殿。
南宋軍の渡渉より、韓世忠の水軍が危険だと、私はおもいますが」
「その通りだ、宣賛」
(…この続きは本書にてどうぞ)
砕けていた。
歳月がそうさせたのか、なにかにぶつかったのか、わからなかった。
欧元に持ってこさせた私服に着替え、楊令はその袋を卓の上に置いた。
布の袋も、古び、擦り切れている。
触れるだけで、中のものが砕けているのはわかるのだ。
しばらく、楊令は袋を見つめていた。
鄭天寿が、崖の途中にあった薬草を、その命と引き換えに採ってきた。
ただの草だが、おまえにとっては無上に大切な命だ、と言った秦明の声が蘇る。
水気が抜けて、硬い、草ではないもののようになっていた。
魂は、こめられていた。
どれほど変形しようと、こめられた魂はそのままだった。
「欧元」
楊令は声をあげて、従者を呼んだ。
部屋の入り口で、欧元が直立した。
「水をくれ。冷たい水を、飲みたい」
「かしこまりました」
欧元が姿を消し、すぐに盆に載せた椀を持ってきて、卓に置いた。
そのまま、出ていく。
楊令は、袋の中身を、卓上に出した。
粉のようになったものと、まだいくらか形を留めているものがあった。
粉に指を押し付け、付着したものを口に入れた。
次々にそうして、粉ひとつ残らないようにした。
水で、飲み下す。
冷たさだけがあり、それが鎮まるのを、楊令はしばし待った。
それから、形を留めているところを、口に入れた。
口の中で、じっとその形だけを感じた。
なにか、懐かしい、いや、もの哀しい味が口に拡がってくる。
しばらく、飲みこむことも,口から出すこともできなかった。
それから、水と一緒に飲み下した。
擦り切れた袋も、爪で引き裂き、呑みこんだ。
なにもなくなった。
そんな気がした。
拠りどころが、なにもなくなった。
それから、一体になったのだ、と自分に言い聞かせた。
鄭天寿の気持も秦明の言葉も、もともとかたちにはできないものだ。
楊令は、碗の水を飲み干した。
「呉用と宣賛を、呼んでくれ」
欧元が部屋の入口で直立し、駆け去っていった。
しばらくして、呉用と宣賛がやってきて、腰を降ろし、覆面を取った。
「南宋軍は、岳飛と劉光世を討たないかぎり、何度でも立ち直ってくるな」
「と言っても、兵力だけのことだ、楊令殿。
しかも、無理な徴兵が、南宋の民の不満を募らせている」
呉用は、剥き出しの歯を、舌で舐めながら喋っていた。
宣賛も、同じような喋り方をする。
「すでに、かたちとしては、南宋を江南に押しこめつつある。
江北から張家軍が撤退し、残っているのは、黄陂の岳家軍だけになっている」
「岳家軍と対すると、腹背を衝かれませんか、呉用殿。
南宋軍の渡渉より、韓世忠の水軍が危険だと、私はおもいますが」
「その通りだ、宣賛」
(…この続きは本書にてどうぞ)