楊令伝 七
  驍騰の章(ぎょうとのしょう)

童貫率いる宋禁軍が、ついに梁山泊討伐に出動した。
開封府では、燕青と候真が、不穏な動きを見せる青連寺の妓館を探っている。
梁山泊は楊令を中心に結束を強め、童貫を迎え撃つ準備をかためた。
張平は黒騎兵を離れ、新たに編成した青騎兵を率いる。
花飛麟軍が、宋禁軍の先鋒・岳飛軍と激突し、史進遊撃隊に入った呼延灼の息子、穆凌は、趙安の首を狙って疾駆する。
楊令伝、白熱の第7巻。

驍騰の章 目次
 地然の光
 地強の光
 地奇の光
 天究の夢
 地猛の光
  地然の光

黒騎兵を離れろ、と張平は言われた。
自分のそばにいるなと楊令に言われたような気分を、しっかり抑え込むのに、かなりの時を要した。
幼いころから、楊令とともに育ってきた。
楊令が子午山を降りてからは、王母と王進の三人暮らしになったが、やがて花飛麟と公淑と秦容が加わってきた。
そして、花飛麟とともに山を降りた。
花飛麟は梁山泊へ行ったが、張平は北の楊令のもとに迷わずにむかった。
部下に加えられ、黒騎兵となった。
楊令に言われたのは、黒騎兵を離れて、二百の騎兵隊を編制しろ、ということだった。
青い旗を掲げ、青い套衣をまとう。
青騎兵ということだ。
命令だった。
自分をどう納得させられるか、ということだけだった。
黒騎兵に続く青騎兵の指揮ということで、いまは納得しているしかなかった。
段景住の牧で、これはという馬を二百頭、選ぶことが許された。
二百名も、楊令軍の中から選んだ。
青騎兵の編成は以前から決まっていたらしく、青い具足も、洞宮山の工房から船で運ばれてきていた。
年が明けて、十日経っている。
張平は、ほとんど不眠不休の調練を続けた。
もともと、楊令軍の兵である。
ほかの軍より、ずっと厳しい調練に耐えられる。
新しく乗った馬と、どれだけ気持ちを通わせて一体になれるか、というところに、調練の主眼はあった。
それから、武術の調練だった。
すでに、兵の躰は過酷な調練で、ひと回り小さくなったような感じだ。
青騎兵には、本寨の中で、黒騎兵と並んだ営舎が与えられた。
楊令と、それほど離れたわけではない、と思って張平はほっとした。
しかし、離れることに、大きなわだかまりを抱いてはならない、という気持ちにもなりつつある。
幼いころ、楊令とともに育った。
それで、充分過ぎるほど、ほかの者よりも恵まれているではないか。
自分に、そう言い聞かせた。
本賽にいる軍は、ほかには呼延灼の一万と、郭盛が指揮することになった、歩兵の一万五千だけだ。
楊令軍の本隊は、十里ほど東に営舎を築いていた。
史進の遊撃隊は、本賽の外に営舎があるし、扈三嬢が指揮する四千は、歴亭に駐屯していた。
八千に増強された花飛麟の軍は、梁山泊の外にいることが多く、北京大名府を窺がっている、というように思えるかもしれない。
調練を切り上げろという聚義庁の命令が届き、張平は青い旗を掲げて本賽へ戻った。
聚義庁に、帰還の報告をした。
「午後からの会議に、おまえも出ろ」
宣賛にそう言われた。
聚義庁には、呼延灼だけではなく、張清と鮑旭の姿もあった。
会議の始まる刻限まで、張平は営舎にいた。
二百名の兵の、ひとりひとりと言葉を交わす。
張平は二十三歳で、年長の兵も当然いる。
「青騎兵というのは、かつて急先鋒と呼ばれた、索超殿が指揮していた部隊だ。
黒騎兵と並ぶ騎馬隊であったということを、心に刻みつけておいてくれ」
この二百騎については、指揮は自分の判断に任されることが多いだろう、と張平は思っていた。
手足を動かすように、動かさなければならない。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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