楊令伝 四
雷霆の章(らいていのしょう)
楊令を統領に迎えた梁山泊は新たな寨に替天旗を掲げ、兵力を集結させていく。
禁軍の趙安は、金国との海上の盟により燕京攻略に向けて北進し、耶律大石ら燕国建国の夢を賭けた旧遼軍と対峙した。
一方、方臘は、精強な軍と信徒の圧倒的な数の力で江南を席巻する。
南下した童貫が、ついに叛乱鎮圧に動き始めた。
信徒の熱狂渦巻く中、呉用は方臘の軍師として、童貫軍を迎え撃つ。
楊令伝、熱戦の第4巻。
雷霆の章 目次
天勇の夢
地健の光
天牢の夢
天祐の夢
地軸の光
雷霆の章(らいていのしょう)
楊令を統領に迎えた梁山泊は新たな寨に替天旗を掲げ、兵力を集結させていく。
禁軍の趙安は、金国との海上の盟により燕京攻略に向けて北進し、耶律大石ら燕国建国の夢を賭けた旧遼軍と対峙した。
一方、方臘は、精強な軍と信徒の圧倒的な数の力で江南を席巻する。
南下した童貫が、ついに叛乱鎮圧に動き始めた。
信徒の熱狂渦巻く中、呉用は方臘の軍師として、童貫軍を迎え撃つ。
楊令伝、熱戦の第4巻。
雷霆の章 目次
天勇の夢
地健の光
天牢の夢
天祐の夢
地軸の光
天勇の夢
洞庭山の工房の半分ほどを、梁山泊に移した。
蓄えた物資のかなりの部分は、いまも移動中である。
洞庭山でも洞宮山でも、まだ兵の調練は行われている。
ただ、洞宮山に集まる人数は減り、現在いる二千の調練を終えたら、鮑旭と郭盛はそれを率いて洞庭山に移り、すぐに梁山泊に入る。
洞庭山には四千がいるので、合わせて六千が増えることになる。
宣賛は、編制をいじるのに余念がなかった。
新しく入ってきた兵で一部隊というのは、手早くは出来るが、最上の方法とはいえない。
兵の特質を吟味して、ふり分ける。
それで、かなり特徴のある部隊編制になる。
宋禁軍(近衛郡)と本格的にぶつかり合ったら、こんなこともしていられないが、いまはできるだけ最良の方法に近づけて、編制をしておきたかった。
忙しさは、半端なものではなかった。
洞庭山から来る新兵だけでなく、ここにも入山希望者が、日に数十名は訪れる。
その捌きは、文治省から蕭譲と陳娥が出て、なんとかこなしている。
陳娥は郝思文の妻で、青蓮寺の梁山泊残党狩の時には、ずいぶんと同志を逃がす働きをした。
人を見る眼があって、はじめてできることだ。
郝思文の娘の、郝嬌は、洞宮山に残っていた。
二人が通した者について、武術の試しは洞宮山から移ってきた、扈三娘の仕事である。
容赦なく、打ちのめしているようだ。
将校の数が足りないのは相変わらずだったが、鮑旭と郭盛が戻れば、それなりの陣容になる。
それに、子午山を降りて洞庭山に入った花飛麟が、相当なものだという報告も入っていた。
「呼延灼軍、張清軍が八千に増えました。
史進遊撃隊の三千は変えないとして、馬麟軍が現在四千です。
これを、いずれ八千にしたい。
それから、鮑旭、郭盛、扈三娘の軍をやはり三千から四千にしたいと思います。
できれば、花飛麟にも、部隊を持たせたい、と思います」
編制は、宣賛の独断ではなく、楊令から梁山泊の指揮を任されている、呼延灼と話し合うことになる。
「花飛麟は、それほどなのか、宣賛?」
「洞宮山、洞底山ともにひと月いましたが、これまでに例のない評価が上がってきています」
「これまでにない、か」
呼延灼が呟いた。
最初に洞宮山に入った時の、花飛麟の評価も高いものだった。
ただ、どうにもならない欠点もあった。
それが、子午山から戻ると、土の汚れを拭い取ったように、きれいに消えていたのだという。
子午山で、どういうことが行われたのか、宣賛には想像もつかなかった。
ただ、体内に一度戻り、もう一度、生まれ直した,という鮑旭の報告は、頭に残っている。
「史進の遊撃隊に、一時的に配属はしようと思うのですがね」
花飛麟が持っていたという欠点が、ほんとうに消えているかどうか見極めるのに、史進の隊は適当だろう。
「いまはこんなことをしていられるが、年が明けたら、みんなどうなるかもわからん」
「そうですね。
さまざまなものがうまく動いて、梁山泊本隊はひとつになり、こうして中心の拠点も持つことができました」
楊令と呉用が、それぞれに思い描いたものが一致していた。
(…この続きは本書にてどうぞ)
洞庭山の工房の半分ほどを、梁山泊に移した。
蓄えた物資のかなりの部分は、いまも移動中である。
洞庭山でも洞宮山でも、まだ兵の調練は行われている。
ただ、洞宮山に集まる人数は減り、現在いる二千の調練を終えたら、鮑旭と郭盛はそれを率いて洞庭山に移り、すぐに梁山泊に入る。
洞庭山には四千がいるので、合わせて六千が増えることになる。
宣賛は、編制をいじるのに余念がなかった。
新しく入ってきた兵で一部隊というのは、手早くは出来るが、最上の方法とはいえない。
兵の特質を吟味して、ふり分ける。
それで、かなり特徴のある部隊編制になる。
宋禁軍(近衛郡)と本格的にぶつかり合ったら、こんなこともしていられないが、いまはできるだけ最良の方法に近づけて、編制をしておきたかった。
忙しさは、半端なものではなかった。
洞庭山から来る新兵だけでなく、ここにも入山希望者が、日に数十名は訪れる。
その捌きは、文治省から蕭譲と陳娥が出て、なんとかこなしている。
陳娥は郝思文の妻で、青蓮寺の梁山泊残党狩の時には、ずいぶんと同志を逃がす働きをした。
人を見る眼があって、はじめてできることだ。
郝思文の娘の、郝嬌は、洞宮山に残っていた。
二人が通した者について、武術の試しは洞宮山から移ってきた、扈三娘の仕事である。
容赦なく、打ちのめしているようだ。
将校の数が足りないのは相変わらずだったが、鮑旭と郭盛が戻れば、それなりの陣容になる。
それに、子午山を降りて洞庭山に入った花飛麟が、相当なものだという報告も入っていた。
「呼延灼軍、張清軍が八千に増えました。
史進遊撃隊の三千は変えないとして、馬麟軍が現在四千です。
これを、いずれ八千にしたい。
それから、鮑旭、郭盛、扈三娘の軍をやはり三千から四千にしたいと思います。
できれば、花飛麟にも、部隊を持たせたい、と思います」
編制は、宣賛の独断ではなく、楊令から梁山泊の指揮を任されている、呼延灼と話し合うことになる。
「花飛麟は、それほどなのか、宣賛?」
「洞宮山、洞底山ともにひと月いましたが、これまでに例のない評価が上がってきています」
「これまでにない、か」
呼延灼が呟いた。
最初に洞宮山に入った時の、花飛麟の評価も高いものだった。
ただ、どうにもならない欠点もあった。
それが、子午山から戻ると、土の汚れを拭い取ったように、きれいに消えていたのだという。
子午山で、どういうことが行われたのか、宣賛には想像もつかなかった。
ただ、体内に一度戻り、もう一度、生まれ直した,という鮑旭の報告は、頭に残っている。
「史進の遊撃隊に、一時的に配属はしようと思うのですがね」
花飛麟が持っていたという欠点が、ほんとうに消えているかどうか見極めるのに、史進の隊は適当だろう。
「いまはこんなことをしていられるが、年が明けたら、みんなどうなるかもわからん」
「そうですね。
さまざまなものがうまく動いて、梁山泊本隊はひとつになり、こうして中心の拠点も持つことができました」
楊令と呉用が、それぞれに思い描いたものが一致していた。
(…この続きは本書にてどうぞ)