替天行道―北方水滸伝読本


人物事典や年表といった貴重な資料をはじめ、著者のエッセイ、編集者からの手紙などレアな文章が満載。
読めば北方水滸の全てが解るファン必携の一冊。
文庫化にあたり、著者から読者へのメッセージや、司馬遼太郎賞受賞記念エッセイなど、さらに特別なコンテンツを追加。
100ページ以上増補した完全版。

水滸クロニクル
年表
漢詩+装画
人物事典
編集者からの手紙
九千五百枚を終えて
著者からのメッセージ 北方謙三

──『水滸伝』刊行にあたって──

人間の想像力が及ぶかぎりの、壮大な物語を書きたい。
この場合、人間といっても私自身のことである。
ただ、私もほかの創造物を吸収する。
吸収して噛み砕くことで、自分の想像力に刺激を与えてきたという側面も、強く持っている。
これまで私を刺激してきた創造物は、数えきれないほどあるが、その中で最大のもののひとつが『水滸伝』であった。
演義という形式で書かれた『水滸伝』を、現代日本語に訳することに、私はなんの意味も見出せなかった。
私の中で『水滸伝』は変質し、別の創造物としての再生の時を待っていたのだ、という気がする。
私は、自分自身の『水滸伝』を、作家という創造者の矜持をかけて書いてみようと思った。
多分、長い歳月をかけた仕事になるだろう。
苦しい道程も、いやというほど見えている。
しかし私は、最初の一行を書いた時、かつてないほど充実していた。
その充実は、弱まることがなかった。
ひとりの男が、物語の中で立ちあがってくる。
別の男が立ちあがってくる。
四人、五人と立ちあがってくると、物語は重層性を増し、ひとりひとりの存在感も強くなり、彼らは私に挑みかかってくるのだった。
ひとりひとりの登場人物と闘いながら、物語のありようをも、深く重層的な方向に向けている。
気づくと、私はきわめてスリリングな物語の創造行為の中に没入し、充実し、狂喜し、そして苦闘していたのだった。
私の『水滸伝』の全体像がどうなるか、私は嗅覚のようなものでわかっている。
しかしまだ、言葉で説明できない。
いや、永遠に説明することはできないだろう。
説明できればいい、というものでもない。
ただ、私は最後の一行まで、私の『水滸伝』を書ききれる、という自信は持っている。
まだ、踏み出したばかりである。
数歩進んだだけで、ふり返るということはしたくない。
私の行手には、これまでよりさらに手強い男たちが、待ち構えているのである。
私はただ、無心に闘い、その男たちと心を通わせることだけに専念したいと思う。
完成した時に、私はどれだけの物語の魅力とダイナミズムを、読者に提示し得ているだろうか。
不安はない。私は、この物語とともに滅びてもいい、と覚悟しているからだ。

(…この続きは本書にてどうぞ)
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