水滸伝 十六
馳驟の章(ちしゅうのしょう)
梁山泊は戦によって、潰滅寸前にまで追い込まれていた。
回復の時を稼ぐため、侯健と戴宗が偽の講和案を持って高〓(きゅう)に近づく。
また、晁蓋を殺した史文恭が再び動き出した。
名を変え、商人になりすまし、次なる標的のそばで暗殺の機を待ち続けている。
それに対し、公孫勝は袁明の首を狙っていた。
堅牢な守りをかいくぐり、いま、致死軍が青蓮寺を急襲する。
北方水滸、暗闘の十六巻。
馳驟の章 目次
天貴の星
地雄の星
地壮の星
地数の星
天牢の星
地陰の星
馳驟の章(ちしゅうのしょう)
梁山泊は戦によって、潰滅寸前にまで追い込まれていた。
回復の時を稼ぐため、侯健と戴宗が偽の講和案を持って高〓(きゅう)に近づく。
また、晁蓋を殺した史文恭が再び動き出した。
名を変え、商人になりすまし、次なる標的のそばで暗殺の機を待ち続けている。
それに対し、公孫勝は袁明の首を狙っていた。
堅牢な守りをかいくぐり、いま、致死軍が青蓮寺を急襲する。
北方水滸、暗闘の十六巻。
馳驟の章 目次
天貴の星
地雄の星
地壮の星
地数の星
天牢の星
地陰の星
天貴の星
足りないと言えば、最も足りないのは人だった。
厳しい戦で、兵の損耗は激しかった。
しかしいま、柴進の予想を超えて人は集まりつつある。
だから、それに見合った物を、集めればいいのだ。
当面の物資は、足りている。
皮肉なことだが、多く出た負傷兵で戦に耐えられなくなった者が、生産の現場に送られていた。
特に、二竜山の生産があがるはずだ。
それとは別に、長期的な兵站を、柴進は考えていた。
塩の道があるかぎりそれは可能で、大規模な想定もできた。
およその数で、梁山泊本隊が林冲や史進の隊も入れて三万、水軍が一万、二竜山が二万、双頭山が一万、流花寨一万。
その総兵力を、五年間維持する。
万一、塩の道が途絶えた場合でも、三年は耐えられる。
柴進の頭には、さまざまなものが描かれていた。
生産力をあげて自給を高めるのはもとより、宋の各地で商いもやる。
梁山泊の、複雑な兵站の実態をすべて把握しているのは、柴進のほかは呉用だけである。
塩の道は、盧俊義と燕青が握っていた。
自分の想定を現実のものとするために、柴進は動き回っていた。
物資はただのものではなく、生き物である。
成長もすれば、老いもする。
痩せることもあれば、肥ることもあるのだ。
ものにこだわりすぎる、としばしば言われる。
吝嗇だという謗りも受ける。
なんと言われようと、戦の半分は兵站だった。
流花寨が、宋軍のあれだけの猛攻に耐え抜けたのも、兵站の心配だけはなかったことが、大きな要因になっている、と柴進は思っていた。
部下は二百名である。
それこそ各地を飛び回っている。
柴進自身が動く時は、五十名の護衛をつける。
一度、済州の城内で捕えられた。
孫二娘の機転ですぐに放されたが、あれは忘れられなかった。
そのままどこかへ連れていかれれば、拷問を受け、梁山泊の兵站について吐かされたのだろう。
拷問を受けるのが、こわいわけではない。
梁山泊の兵站が、すべて宋に知られるのがこわいのだ。
拷問を受けた盧俊義の話によると、吐かないで耐えられるようなものではなかった。
済州で捕えられた時、その場で命を絶とうかと考えたほどだ。
しかし、あの時に自分を捕えた一団はなんだったのか。
青蓮寺の軍は、妓楼にいる史進を襲っていた。
柴進が知っている青蓮寺の匂いとは、明らかに違うものを放っていた。
柴進は、盛栄の隊を呼んだ。
梁山泊の物資の大部分は鴨嘴灘に運びこまれる。
そこには数十棟の倉があり、柴進がいる場所も作ってあった。
聚義庁にいるより、その方がずっと便利なのだ。
部下も梁山泊にいる時は、ほとんど鴨嘴灘の軍営で起居している。
「史進の遊撃隊が、衣料が不足していると言ってきた。縫いあげたものが、倉にひとつあったな」
「ありますが、死んだ兵の軍袍なども集めてあります」
「それはいかん。誰が、死んだ者から衣類を剥げと言った?」
「俺が、やらせました。まだ新しい軍袍がありましたので」
「着せて、死なせてやることができなかったのか、おまえは」
盛栄は、物資の調達に関しては、誰よりも手際がよかった。
ただ、本人は戦闘部隊に入りたがっている。
「おまえは、どうしていつもそうなのだ?」
「なにが、そうなのですか?」
「戦で死んだ者に対して、冷たい。戦闘部隊に、意味のない反感を持っている」
「反感なんて、持っちゃいません。ただ、戦に出るやつは、死ぬことを覚悟しているでしょうから。裸にしても、死は死です」
戦闘部隊に入れない屈折が、そんなことを言わせているとわかっていても、腹立たしさは抑えきれなくなってくる。
「九竜寨では、戟も不足している。衣料とともに、届けてこい」
「柴進殿、武器は梁山泊本隊でも不足気味です。武器倉は空っぽの状態ですよ」
「戟を五百。当然、どこからか調達してくるのだ。なんのために、おまえを将校にしていると思っている?」
(…この続きは本書にてどうぞ)
足りないと言えば、最も足りないのは人だった。
厳しい戦で、兵の損耗は激しかった。
しかしいま、柴進の予想を超えて人は集まりつつある。
だから、それに見合った物を、集めればいいのだ。
当面の物資は、足りている。
皮肉なことだが、多く出た負傷兵で戦に耐えられなくなった者が、生産の現場に送られていた。
特に、二竜山の生産があがるはずだ。
それとは別に、長期的な兵站を、柴進は考えていた。
塩の道があるかぎりそれは可能で、大規模な想定もできた。
およその数で、梁山泊本隊が林冲や史進の隊も入れて三万、水軍が一万、二竜山が二万、双頭山が一万、流花寨一万。
その総兵力を、五年間維持する。
万一、塩の道が途絶えた場合でも、三年は耐えられる。
柴進の頭には、さまざまなものが描かれていた。
生産力をあげて自給を高めるのはもとより、宋の各地で商いもやる。
梁山泊の、複雑な兵站の実態をすべて把握しているのは、柴進のほかは呉用だけである。
塩の道は、盧俊義と燕青が握っていた。
自分の想定を現実のものとするために、柴進は動き回っていた。
物資はただのものではなく、生き物である。
成長もすれば、老いもする。
痩せることもあれば、肥ることもあるのだ。
ものにこだわりすぎる、としばしば言われる。
吝嗇だという謗りも受ける。
なんと言われようと、戦の半分は兵站だった。
流花寨が、宋軍のあれだけの猛攻に耐え抜けたのも、兵站の心配だけはなかったことが、大きな要因になっている、と柴進は思っていた。
部下は二百名である。
それこそ各地を飛び回っている。
柴進自身が動く時は、五十名の護衛をつける。
一度、済州の城内で捕えられた。
孫二娘の機転ですぐに放されたが、あれは忘れられなかった。
そのままどこかへ連れていかれれば、拷問を受け、梁山泊の兵站について吐かされたのだろう。
拷問を受けるのが、こわいわけではない。
梁山泊の兵站が、すべて宋に知られるのがこわいのだ。
拷問を受けた盧俊義の話によると、吐かないで耐えられるようなものではなかった。
済州で捕えられた時、その場で命を絶とうかと考えたほどだ。
しかし、あの時に自分を捕えた一団はなんだったのか。
青蓮寺の軍は、妓楼にいる史進を襲っていた。
柴進が知っている青蓮寺の匂いとは、明らかに違うものを放っていた。
柴進は、盛栄の隊を呼んだ。
梁山泊の物資の大部分は鴨嘴灘に運びこまれる。
そこには数十棟の倉があり、柴進がいる場所も作ってあった。
聚義庁にいるより、その方がずっと便利なのだ。
部下も梁山泊にいる時は、ほとんど鴨嘴灘の軍営で起居している。
「史進の遊撃隊が、衣料が不足していると言ってきた。縫いあげたものが、倉にひとつあったな」
「ありますが、死んだ兵の軍袍なども集めてあります」
「それはいかん。誰が、死んだ者から衣類を剥げと言った?」
「俺が、やらせました。まだ新しい軍袍がありましたので」
「着せて、死なせてやることができなかったのか、おまえは」
盛栄は、物資の調達に関しては、誰よりも手際がよかった。
ただ、本人は戦闘部隊に入りたがっている。
「おまえは、どうしていつもそうなのだ?」
「なにが、そうなのですか?」
「戦で死んだ者に対して、冷たい。戦闘部隊に、意味のない反感を持っている」
「反感なんて、持っちゃいません。ただ、戦に出るやつは、死ぬことを覚悟しているでしょうから。裸にしても、死は死です」
戦闘部隊に入れない屈折が、そんなことを言わせているとわかっていても、腹立たしさは抑えきれなくなってくる。
「九竜寨では、戟も不足している。衣料とともに、届けてこい」
「柴進殿、武器は梁山泊本隊でも不足気味です。武器倉は空っぽの状態ですよ」
「戟を五百。当然、どこからか調達してくるのだ。なんのために、おまえを将校にしていると思っている?」
(…この続きは本書にてどうぞ)