水滸伝 十四
  爪牙の章(そうがのしょう)

梁山泊は、威勝の田虎の叛乱が青蓮寺の策略だと看破した。
近くの石梯山に魯達や鄒淵らを派遣し、切り崩しを図る。
しかし、田虎に雇われた張清が、精強な傭兵部隊を率いて立ちはだかった。
一方、官は梁山泊の完全殲滅を決意する。
禁軍・地方軍・水軍あわせて20万の軍兵を投入してきた。
兵力で圧倒的に劣る梁山泊に対し、空前の規模の攻撃がついに始まる。
北方水滸、焦眉の十四巻。


爪牙の章 目次
 地急の星
 天平の星
 地短の星
 天究の星
 地強の星
 地猛の星
地急の星

妓楼の女主人を、すべて信用しているわけではない。
ただ、情報の糸口となるものは、かなり掴めた。
その情報が、どの程度信頼できるものかは、念入りに確かめる。
王英は、奥の部屋で女主人と喋っていた。
白寿がどういう扱いをされているかも、それとなく探る。
かなりの銀を渡してあるので、白寿が客の眼に触れることはないようだ。
それは白寿からも確かめてある。
恩州で、特になにかがあるというわけではなかった。
ただ、公孫勝が、恩州の地理的な位置を気にしている。
それとなく言われたことだが、飛竜軍は恩州の近辺に展開させた。
いま、飛竜軍の大部分は、自分の指揮下にある。
劉唐は、五十名ほどを率いて、全国を飛び回っていた。
やらなければならない仕事は各地にあり、それをこなしながら動いているのだが、史文恭を見つけ出そうとしていることはわかっていた。
史文恭を、従者として晃蓋に近づけたのは劉唐だった。
そのために晃蓋が死んだという考え方は、確かにできる。
劉唐が、自責の念に駆られるのも、わからないではなかった。
ただ、死ぬ時は人は死ぬ。
史文恭の毒矢に当たらなかったとしても、晃蓋はなにかで死んだ、という気がする。
飛竜軍のように、死と隣り合わせで闘っていると、いつかそう思うしかなくなった。
飛竜軍の死は、敵と正面からむかい合っての死ではない。
闇からいきなり、死神が顔を出す。
逃れられるかどうかは、まさにその人間が死ぬ時期を迎えているかどうか、ということによって決まるのだ。
部屋へ入ると、王英は寝台に横になった。
遊妓たちが使う部屋ではなく、妓楼の女主人の私宅だ。
妓楼の裏庭に建てられていた。
白寿が暮すのは主にそこで、あとは厨房の仕事をするぐらいである。
王英は、束の間、まどろんだ。
昨夜から不眠不休で、移動していたのだ。
部下は、思い思いのところで休んでいるはずだった。
まどろみを醒したのは、足音である。
それが白寿のものだとわかったので、王英は眼を開かなかった。
部屋へ入ってきた白寿が、着物を脱いでいる気配がある。
白寿の躰が脇に滑りこんでくると、王英の情欲にいきなり火がついた。
他人より情欲が強いのが、時として王英の悩みだった。
それは以前のことで、いまは女体をそばにして、はじめて情欲が燃えあがるのだ。
長く女体に接していなくても、ちろちろと燃え続ける情欲に苦しむことはなくなった。
王英は白寿を押さえこみ、ひとしきり躰を動かした。
白寿の顔が歪み、声をあげながら激しく首を振る。
白寿の躰がのけ反り、顔から首すじ、胸もとまで紅潮しはじめた。
しかし王英は、そんなものに気を昂らせたりはしない。
王英が見ているのは、ひとりの女の顔である。
その女は遠い、と王英は思っていた。
白寿の眼が、反転して白くなった。
ようやく、王英は精を放った。
白寿の躰が小刻みに痙攣を続けているが、王英はもう別のことを考えていた。
公孫勝は、なぜ恩州と言ったのか。
考えられるのは、河水がそばを流れているということだった。
水上の戦のことまで、公孫勝は視野に入れているのかもしれない。
敵の水軍が流花寨に集中しないようにするには、河水にもある程度の水軍力が必要だった。
白寿が、ものうく手をのばし、王英の首に抱きついてくる。
会った時十九だった白寿も、すでに二十二歳になっている。
つまり熟れる兆候が見えているが、王英が白寿に求めているのは、そういうものではなかった。
心根のやさしさである。
白寿が、王英の躰の上に乗った。
心根のやさしさを求めながら、女にやさしくする方法を、王英は知らなかった。
言葉を並べるなどというのは、柄ではない。
交合も、二度目からはこんなふうになる。
白寿も、いつかそれが当たり前と思うようになっていた。
はじめは、この白い躰が気に入っていたはずだった。
いまは、もっと微妙なものがあるという気がするが、それがなにか確かめる暇も気持もなかった。
女を不幸にしなければ、男はそれでいい。
考えているのは、そんなことぐらいだ。
「また、商いに出かけるのですか?」
白寿が言う。
もっとそばにいたいという、若い女らしい気持はあるようだ。
言葉遣いは、女主人のおかげでずいぶんと丁寧になった。
「男は、仕事だろう、白寿」
「出かけたまま、帰ってこないかもしれない、と考えることがあります」
「捨てられると思うのか。捨てられたとしても、おまえは遊妓に戻ることなどない」
「そういうことではありません。捨てられると思ったことなど、一度もないのだから」
「じゃ、なんだ?」
「どこかで死んでしまうんじゃないかと、そんなことをふと考えるのです」
「つまらんことを」
「つまらなくはありません。この城郭でも、商いの旅に出て、殺された人がいます」
「大丈夫だ。俺は死なん」
「そんなことを言っても」
次第に、交合の快感の中に、白寿は入っていく。
言葉を発することができるのは、そのあたりまでだった。
自分はまだ死なない、と王英は思っていた。
死んでもおかしくないところを、何度もすり抜けてきた。
それで、自分が死ぬのか死なないのか、なんとなくわかるような気がしていた。
晃蓋は死んだ。自分が死ぬとは、思っていなかっただろう。

(…この続きは本書にてどうぞ)
Designed By Hirakyu Corp.