水滸伝 十一
天地の章(てんちのしょう)
梁山泊の頭領の対立が深刻化していた。
兵力をもっと蓄えたい宋江。
今すぐ攻勢に転じるべきだと主張する晁蓋。
しかし、青蓮寺は密かに暗殺の魔手を伸ばしていた。
刺客の史文恭は、梁山泊軍にひとり潜入し、静かにその機を待ち続ける。
滾る血を抑えきれない晁蓋は、自ら本隊を率いて、双頭山に進攻してきた官軍を一蹴し、さらに平原の城郭を落とした。
北方水滸、危急の十一巻。
天地の章 目次
地然の星
地全の星
地楽の星
天地の星
天地の章(てんちのしょう)
梁山泊の頭領の対立が深刻化していた。
兵力をもっと蓄えたい宋江。
今すぐ攻勢に転じるべきだと主張する晁蓋。
しかし、青蓮寺は密かに暗殺の魔手を伸ばしていた。
刺客の史文恭は、梁山泊軍にひとり潜入し、静かにその機を待ち続ける。
滾る血を抑えきれない晁蓋は、自ら本隊を率いて、双頭山に進攻してきた官軍を一蹴し、さらに平原の城郭を落とした。
北方水滸、危急の十一巻。
天地の章 目次
地然の星
地全の星
地楽の星
天地の星
地然の星
東の見張台のそばの崖が、梁山泊の中では最も急峻だった。
そこを選んで毎日十回ずつ登っては降りることをくり返す樊瑞を、見張台の兵たちは呆れて跳めているようだ。
縄もなにも遣わない。
手と足だけである。
しかも、自分の隊の兵の調練を終えてからだった。
李袞が、死んだ。
梁山泊に入山する時、兄弟でいようと項充と三人で誓い合った。
それが、最初の戦で、死んだ。
三人の中で、一番若かった。
戦だから、死ぬことはある。
しかし、なぜ自分が生き残り、李袞が死んだのか。
なにが生死を分けたのか、樊瑞は知りたかった。
運だとか、めぐり合わせだとか、言葉ではいくらでも言える。
言葉でないもので、知りたいと思った。
どうやったら、それを知ることができるのか、わからなかった。
死の淵に立ってみる。
しかし、死へ落ちることはない。
もし落ちたら、生死を分けるものがなにか、知った瞬間に死んでいる。
生きたまま、樊瑞はそれを知りたかった。
そのために、急峻な崖を登り降りしているのかというと、それも違う。
なにもわからないので、ただ登り降りをしている、と言った方がいいだろう。
落ちれば、勿論、死ぬ。
はじめは、一度降りて登ってくるだけで、全身が汗にまみれ、息が弾んだ。
ひと月も続けると、三度か四度くり返したところで、ようやく汗が出てくる。
いまは、十度でもわずかしか汗はかかない。
要領がわかったので、楽になったのかもしれない。
それと、やはり躰が頑丈になった。
片腕で、岩にぶらさがることもできるようになった。
「いい加減にしたらどうだ」
兵舎に帰ると、項充がよく言った。
上級将校として遇されているので、兵営では部屋がひとつある。
それでも、項充とお互いの部屋を行き来していて、ひとりになるのは眠る時だけだ。
「自分を苛めている、としか俺には思えんぞ、樊瑞」
項充にそう言われても、苛めているなどという感じがなんなのか、樊瑞にはわからなかった。
なにが生死を分けるのか、ただそれが知りたいと思い続けた。
項充と、ほかのことは語っても、それについてだけはなにも言わなかった。
人に説明できることではない、という気がしたのだ。
部屋に戻ると、眠る前に明日の調練のことを考えた。
兵を死なせない。
しかし、そればかりが頭にあると、慎重になる。
調練は勝つためであり、兵を死なせないためだが、数百名の命を預かる自分には、もっと別のしなければならないことがある、という気がした。
呼延灼の軍と闘ってから、すでに三月が経つ。
あれ以来、大きな戦は起きておらず、梁山泊軍本隊だけでなく、二竜山、双頭山、流花寨でも、それぞれに兵の調練が厳しく行われているという。
村をいくつか、賊徒から守る。
それを生業にしようと思った。
李袞、項充も、同じことを考えていた。
そして、少々の賊徒は追い払ってきた。
村は豊かになるはずだったが、役人が来て、無法な税を取り立てていく。
賊徒よりましと言っても、樊瑞には許せなかった。
賊徒から村を守るのは、ほんとうは役人が軍を使ってやるべき仕事だったが、自分たちを守らせるために百人ほどの兵を伴い、税を取り立てていく。
まとめて役人を殺してやろうかと考え、李袞や項充と話したこともあるが、十人殺せば、次には二十人が来る、という結論しか出なかった。
役人の背後には、県が、州が、そして国があった。
国とむき合い、敢然と闘う。
そういう男たちがいることを、梁山泊に入ってほんとうに知った。
それまでも、噂は聞いていた。
国を相手にどれだけのことができるのか、と心の底には疑う気持があったのだ。
呼延灼の、連環馬という、すさまじい騎馬での攻撃。
それに一度は負けながらも、梁山泊に逃げこむことはせず、踏み留まった晁蓋を頂点とする男たち。
樊瑞ははじめて、自分が心に描いていた男たちがいることを、あの敗戦で実感することができたのだ。
それと、李袞が死んだことは、また別なのだ。
自分が死なず、なぜ李袞が死んだのか。
(…この続きは本書にてどうぞ)
東の見張台のそばの崖が、梁山泊の中では最も急峻だった。
そこを選んで毎日十回ずつ登っては降りることをくり返す樊瑞を、見張台の兵たちは呆れて跳めているようだ。
縄もなにも遣わない。
手と足だけである。
しかも、自分の隊の兵の調練を終えてからだった。
李袞が、死んだ。
梁山泊に入山する時、兄弟でいようと項充と三人で誓い合った。
それが、最初の戦で、死んだ。
三人の中で、一番若かった。
戦だから、死ぬことはある。
しかし、なぜ自分が生き残り、李袞が死んだのか。
なにが生死を分けたのか、樊瑞は知りたかった。
運だとか、めぐり合わせだとか、言葉ではいくらでも言える。
言葉でないもので、知りたいと思った。
どうやったら、それを知ることができるのか、わからなかった。
死の淵に立ってみる。
しかし、死へ落ちることはない。
もし落ちたら、生死を分けるものがなにか、知った瞬間に死んでいる。
生きたまま、樊瑞はそれを知りたかった。
そのために、急峻な崖を登り降りしているのかというと、それも違う。
なにもわからないので、ただ登り降りをしている、と言った方がいいだろう。
落ちれば、勿論、死ぬ。
はじめは、一度降りて登ってくるだけで、全身が汗にまみれ、息が弾んだ。
ひと月も続けると、三度か四度くり返したところで、ようやく汗が出てくる。
いまは、十度でもわずかしか汗はかかない。
要領がわかったので、楽になったのかもしれない。
それと、やはり躰が頑丈になった。
片腕で、岩にぶらさがることもできるようになった。
「いい加減にしたらどうだ」
兵舎に帰ると、項充がよく言った。
上級将校として遇されているので、兵営では部屋がひとつある。
それでも、項充とお互いの部屋を行き来していて、ひとりになるのは眠る時だけだ。
「自分を苛めている、としか俺には思えんぞ、樊瑞」
項充にそう言われても、苛めているなどという感じがなんなのか、樊瑞にはわからなかった。
なにが生死を分けるのか、ただそれが知りたいと思い続けた。
項充と、ほかのことは語っても、それについてだけはなにも言わなかった。
人に説明できることではない、という気がしたのだ。
部屋に戻ると、眠る前に明日の調練のことを考えた。
兵を死なせない。
しかし、そればかりが頭にあると、慎重になる。
調練は勝つためであり、兵を死なせないためだが、数百名の命を預かる自分には、もっと別のしなければならないことがある、という気がした。
呼延灼の軍と闘ってから、すでに三月が経つ。
あれ以来、大きな戦は起きておらず、梁山泊軍本隊だけでなく、二竜山、双頭山、流花寨でも、それぞれに兵の調練が厳しく行われているという。
村をいくつか、賊徒から守る。
それを生業にしようと思った。
李袞、項充も、同じことを考えていた。
そして、少々の賊徒は追い払ってきた。
村は豊かになるはずだったが、役人が来て、無法な税を取り立てていく。
賊徒よりましと言っても、樊瑞には許せなかった。
賊徒から村を守るのは、ほんとうは役人が軍を使ってやるべき仕事だったが、自分たちを守らせるために百人ほどの兵を伴い、税を取り立てていく。
まとめて役人を殺してやろうかと考え、李袞や項充と話したこともあるが、十人殺せば、次には二十人が来る、という結論しか出なかった。
役人の背後には、県が、州が、そして国があった。
国とむき合い、敢然と闘う。
そういう男たちがいることを、梁山泊に入ってほんとうに知った。
それまでも、噂は聞いていた。
国を相手にどれだけのことができるのか、と心の底には疑う気持があったのだ。
呼延灼の、連環馬という、すさまじい騎馬での攻撃。
それに一度は負けながらも、梁山泊に逃げこむことはせず、踏み留まった晁蓋を頂点とする男たち。
樊瑞ははじめて、自分が心に描いていた男たちがいることを、あの敗戦で実感することができたのだ。
それと、李袞が死んだことは、また別なのだ。
自分が死なず、なぜ李袞が死んだのか。
(…この続きは本書にてどうぞ)