水滸伝 六
  風塵の章(ふうじんのしょう)

楊志を失った梁山泊は、その後継者として官の将軍・秦明に目を付けた。
秦明を梁山泊に引き入れるため、魯達は秘策を考え出す。
また、蔡京は拡大する梁山泊に危機感を抱き、対策を強化するため青蓮寺に聞煥章を送り込む。
聞煥章は李富が恐怖を覚えるほどの才覚を持っていた。
聞煥章が最初に試みたのは、宋江の捕縛である。
強力な探索網が宋江を追い詰めていく。
北方水滸、緊迫の第六巻。


玄武の章 目次
 地闊の星
 地文の星
 地狗の星
 天猛の星
 地劣の星
地闊の星

むき合うと、不意に恐怖に似たものが全身を包んだ。
しかしそれを、欧鵬は恐怖だとは思わなかった。
こんな男二人に、恐怖など感じるはずはないのだ。
二人とも、大人しそうだった。
旅の商人と使用人という感じだ。
身なりはあまりよくないが、ほんとうの金持は、わざと薄汚れた恰好をしていたりする。
襲う者の眼をごまかすためだ。
金を持っている、と踏んで襲った時の、欧鵬の勘は狂ったことがなかった。
「命までとは言わねえよ。有金を全部置いていけば、助けてやる」
二人とも、表情は変らなかった。
図体が大きい方の男が、無表情に前に出てきた。
「殺してはならんぞ」
もうひとりの男が言った。
殺すなだと。どちらに言っているのだ。
欧鵬は、鉄槍を構えた。
これを振り回せる者は、伊陽の城郭にもあまりいない。
まして、自由に扱える者など、どこを捜してもいるわけがない。
それでも、欧鵬はすぐに踏みこむことができなかった。
こんな男、槍のひと振りで呆気なく死ぬだろう。
鉄槍は、突くことも打つこともできる。
欧鵬は、肚の底に力を入れた。
摩雲金翅と人には呼ばれているのだ。
空を飛ぶ鳥だ。
跳躍してからの槍の攻撃を、かわした者はひとりもいない。
足に、根が生えたようだった。
どうしても、跳躍することができない。
そういう時もある。
自分に言い聞かせた。
「殺してはならんぞ」
また、もうひとりの男が言った。
不意に、躰が軽くなった。
欧鵬は跳躍し、男の頭を薙ぐように打った。
したたかな手応えがあった。
頭が砕けているはずだと思ったが、鉄槍が手から吹っ飛んでいた。
信じられないことが起きたことに、着地してしばらくして、欧鵬は気づいた。
なんと、男は拳で鉄槍を弾き飛ばしたのである。
唖然とした欧鵬の顔のすぐそばに、男の眠そうな顔があった。
眼を開けた。
気を失っていたようだが、なぜそうなったのか、わからなかった。
脇腹のあたりに、熱いような疼きがある。
欧鵬は、上体を起こした。
「自分より強い者は、世の中にいない。そう思って生き続けてきたのか?」
主人らしい男が言った。
木の根のところに腰を降ろしている。
「おう。このあたりで、俺とまともにやり合えるやつなんか、いねえんだよ」
「このあたりでなかったら、いくらでもいそうだな」
「なんだと」
「おまえは、私の従者の拳で、気を失っていたではないか。あれを強いと言うのか?」
「おかしな術を使った。その術で、俺を眠らせた」
「拳で、その槍も叩き落とされたのだ。それは、自分の眼で見ただろう」
確かに見た。
しかし、それすらも妖術のように欧鵬には思えた。
「俺が本気でやれば、こんな野郎の頭なんか、粉々にしてやる。摩雲金翅と呼ばれているのは、この俺だぞ」
「どこにでもいる、ただの盗賊だったのか」
「そのようです」
まるで自分がいないように、会話が交わされていた。
男が腰をあげようとし、使用人の方が腕を持って支えた。
男は、片足を引き摺っているようだった。
「待て、おい。ちゃんと勝負をしてから、行け。行ければだがな」
欧鵬は、鉄槍に飛びついた。
しかし、二人とももう欧鵬の方を見ようともしなかった。
「耳がないのか。俺は勝負をしろと言っているのだぞ」
二人の背中にむかって、欧鵬は言い続けた。
それでも、二人はふりむかなかった。
かっとしたものが、欧鵬の全身を駈け巡った。

(…この続きは本書にてどうぞ)
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