水滸伝 三
  輪舞の章(りんぶのしょう)

楊志は盗賊に襲われた村に遭遇する。
人々は惨殺され金品は奪い尽くされていた。
何も手を打とうとしない政府に衝撃を受けた楊志は、魯智深と共に盗賊の根城・二竜山に乗り込む。
そして初めて吹毛剣を抜く。
一方、国を裏から動かす影の組織・青蓮寺は、梁山泊の財源である「塩の道」を断とうと画策する。
それに対抗するため、公孫勝率いる闇の部隊・致死軍が動き出す。
荒ぶる北方水滸、灼熱の三巻。


替天の章 目次
 地稽の星
 天慧の星
 天機の星
 地俊の星
 地魁の星
 地好の星
 天満の星
地稽の星

役人が腐っていた。
塩の製造を管理するために、多少はましな人間が、かなりの数送られてきたが、それもふた月三月で腐りはじめ、一年経つとすっかり腐りきっていた。
開封府から送られてきたそれらの役人は、密州などに送られること自体に、大きな不満を持っていたのだ。
だから呆気ないほどたやすく、自分を腐らせはじめる。
密州と安丘の店は、繁盛していた。
肉の料理を出すところだが、二階には小さな部屋を設け、女たちに客を取らせる。
役人は格安で、上の方にいる者からは、料金さえ取らなかった。
それで、役所から横槍が入ることはない。
不都合なことが起きると、なにか事を起こして取締らせる。
それから訴え出れば、取締った役人の方が処罰方れたりするのだ。
そして、筋を通そうとした役人も、やがては店の客になってしまう。
反吐の出そうなこの汚い仕事を、曹正はもう四年続けていた。
はじめの店は密州で、三年前に、同じ密州の安丘の城郭にも新たに出店した。
密州と安丘というのは、製塩所から青州を結ぶ線上にある。
街道も通っている。
もともと、開封府で兄が肉屋をやっていた。
北京大名府の盧俊義が、その費用のすべてを出していた。
兄は、開封府の情報を、盧俊義に送っていたのだ。
細く、小柄で、曹正と並ぶと半分にも見えなかったが、肚の中では、いつも反骨の火が燃えていた。
兄がやっていることを、曹正は薄々としか知らなかった。
店の銭を持ち出しては、賭博をするような生活を好んでいたのだ。
ところがある日、兄が捕縛された。
戻ってきた時は、屍体だった。
その兄の遺骸を見て、曹正は生まれてはじめて、肚の底から怒った。
肺の血が、全部頭に昇ってしまいそうだった。
その時の名残は、額に赤黒い痣としてまだ残っている。
兄の躰は、まともなところがどこにもなかった。
爪はすべて剥がれ、歯も抜かれていた。
顔は別人のように歪み、上半身は火傷だらけで、下半身は何カ所も骨が折れていた。
牢内で自分で傷つけたという話だったが、爪一枚を取っても、それは信じられないことだった。
自分より、九歳年長の兄で、ずっと父親代りだったと言っていい。
生きている時、うるさいだけの存在だった兄も、失ってみればどんなものにも代え難い男だった,
誰とは特定できない、権力というものと闘って兄は死んだのだ、と盧俊義に教えられた。
喋ってはならないことを、喋らないのが兄の闘いだった、とも言った。
そして、死ぬまで拷問を続けられても喋らなかったので、兄は勝ったのだとも。
その日から、曹正は兄を殺したものとの、闘いをはじめた。
といっても、はじめは心の中だけの闘いだった。
誰と闘えばいいのかさえ、わからなかった。
六年前のことだ。
しばしば盧俊義に会い、時には夜っぴて話をした。
開封府から、盧俊義がいる北京大名府へ流れ、四年前には密州に出て料理屋をはしめた。
その費用は、すべて盧俊義が出してくれた。
常州の役人の動きを探り、情報を送ることで曹正は店の代価を払っているつもりだった。
そして役人を相手にしているうちに、兄が闘っていたものがなんだったのか、おばろだが見えてきたのだ。
いまは、密州と安丘を往き来し、塩の道に対する探索の情報を集めている。
密州、安丘、青川の街道に沿ったところに、闇の塩の道がある。
青川からは、方々へ散るようだ。
盧俊義が何年もかけて作りあげてきた闇の塩の道を、護り抜くのは同志のために必要だということを、肌で感じて知っているので、曹正は汚い仕事にも耐えていられた。
同志は、全国各地に散っているというが、曹正が知っているのは、北京大名府から密州に到る、数州の同志ばかりだった。
それに、滄州にいる柴進、時々ふらりと訪ねてくる魯智深。
みんなそれぞれに面白く、しかも志というものはしっかり持っていた。
民がもっと穏やかに暮せる国を作ろうという志である。
特に、清風山の盗賊を束ねている燕順、王英、鄭天寿の三人とは、ひどく気が合った。
盗賊とされているが、ほんとうは闇の塩の道を護る部隊でもある。
青州軍にいる花栄などと較べるとずっと砕けていて、時には安丘の店に女を買いに来たりもする。
青州の州境には、清風山のほかに、二竜山、桃花山などという盗賊の山寨があった。
二竜山の盗賊の動きが活発だが、それは悪いことではない、と花栄などは言っている。
清風山の動きと紛らわしくなり、軍もどういう攻め方をすればいいのか、わからなくなってしまうらしい。
しかし、その動きも、そろそろ押さえようということになっていた。
梁山湖の山寨に、名だけはいやになるほどよく聞く、晁蓋という指導者を中心とする、数名の同志が入り、制圧したというのだ。
いまその山寨は梁山泊と呼ばれ、『替天行道』の旗が掲げられているという。
そちらが開封府や北京大名府の眼を引きつけるので、青州あたりの騒乱はあまり必要でなくなったらしい。
二竜山の盗賊は、平然と民の命を奪うので、以前から曹正は苦々しく思っていた。鄧竜という熊のような男が頭目で、二百から三百ほどの手下がいるらしい。
青州軍が何度か攻めたが、山頂の宝珠寺を中心にした、自然の要害なので、どうしても最後のところまでは攻めきれないでいる。
二竜山をなんとかするように、という命令が盧俊義から届いていた。
しかもそれを、同志でもなんでもない軍人崩れにやらせろと言ってきている。
その男はいま、安丘の店の二階のひと部屋にいた。
女を抱いたり、酒を飲んだりすることもなく、毎日を鬱々としている様子だ。
盧俊義に言われていた男だから、曹正は黙って泊めていたが、顔を見ると暗い気分になる。
表情が思いつめたものである上に、顔半分に大きな青痣があるのだ。
曹正は、魯智深を待っていた。
盧俊義からは、魯智深が訪ねるはずだ、とも言ってきていたのだ。
すべては、魯智深と相談してやることになっている。
梁山泊とはどういうところだろうか、と曹正はよく考えた。
こんなところで、料理屋と妓館の主人をしているより、梁山泊に入ってひとりの兵士になりたい、という思いが強かった。
そういう思いも、二竜山の盗賊の退治でもやれば、いくらかは紛れるかもしれない。
魯智深の大きな後姿が、料理屋の卓にあるのを見つけたのは、秋も深くなったころだった。魯智深は、一番安い牛の肉を煮たものを、饅頭とともに食っていた。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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