北方謙三
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風待ちの港で かぜまちのみなとで

ひたすら純文学にこだわった20代。
ハードボイルドを書き続けた30代。
日本の時代小説から「三国志」「水滸伝」に転進した40代。
そして、50歳。人生の折り返し地点。
しかし、その年齢になってこそ手に入れられるタフネスというものがある。
新しい風よ、吹け。変革はこれより始まる。
作家・北方謙三の現在、過去、そして、未来への宣言の書。

<単行本> 刊行
<文庫本>2003年 4月25日 初版発行

風が変わるとき

はじめて自分の小説が単行本になってから二〇年。
その間ずっと、しゃかりきにアクセルを踏みつづけ、時速二〇〇キロで猛然と突っ走ってきた。
デビューして三作目で賞を貰うと、いきなり量産を強いられた。
そして、ここで潰れたら小説家・北方謙三は生き残れないと懸命に書きまくった。
ここで作品の質を落としては作家としてやっていけなくなる。
小説家として生き残るための戦いなんだと、それこそ半死半生になりながら必死で書きまくった。
というのも、自分と同じ時期にデビューしたものの、一作で消えていったり、消えそうになっていた新人作家たちが周りにたくさんいたからである。
そして気がつくと、自分は年間に一〇作も書く小説家になっていた。
そのうち、小説家として生涯でこれだけの仕事をしたいというものが出てきて、自分なりに設計図を描きはじめた。
たとえば、ヘミングウェイが書いた『海流のなかの島々』のような作品を、何年後に、どこを舞台に書こうとか、『日はまた昇る』のような小説を、何年後に、パリではなくローマを舞台に書こうとかである。
歴史小説でも、書かなければならない題材はいくつもある。
それをすべてやろうとすると、どう考えても五〇年くらいはかかってしまうことに気がついた。
肉体の死。
完全なる消滅。
これが避けがたくやってくる。
しかし、自分で描いたタイムテーブルは、五〇年先のスケジュールまで埋まっているのだ。
どうしたって時間は足りそうもない。
そう思うと、限られた時間のなかで、小説家としてできるだけ多くをやらなければと焦りに焦り、アクセルを踏みつけている足にますます力が入った。
生まれた瞬間から死に向かって歩いていることぐらい百も承知のつもりだったが、三〇代、四〇代に、はたしてそれを自分の問題として実感していたかといえば、かならずしもそうとは言えなかった。
三〇代の頃に連想できた死というのは、車を運転していて衝突するとか、乗っていた飛行機が墜落するとかといった事故死でしかなく、そういうアクシデントに遭遇しないかぎり、自分には死は訪れてこないと思い込んでいたフシがあった。
事故死しないかぎり、自分はいつまでも体力があり、仕事もバリバリやっていけると、どこかで思い込んでいた自分がいた。
そうやってフルスロットルでかっ飛んでいると、眼前の視界は極端に狭い。
左右の景色はただ高速で流れていくだけで、前方に見えている円錐形の視界の突端にあるピンポイントだけしか見えなくなる。
だから、肩にバリバリに力を入れながら、懸命に前だけを見ていた。
懸命に前だけを見てハンドル操作を誤らなければ、どこまでも突っ走っていけると信じていたのだ。

ところが、五〇歳を超えると死というものが別のものに変わってきた。
たとえば大学時代の友人たち。
ついこの間まで大会社の出世コースを走っていた友人が、突然、パタッと病気で倒れて死んだり、あるいはリストラされて立ち往生している。
かと思えば、卒業以来、ずっと同窓会の座の中央でふんぞり返って高笑いをしていた友人が、出世コースから外れて負け犬のように片隅で尻尾を巻いていたり。
それぞれが、いつまでも同じ在り様ではいられないことを思い知らされるのだ。
あるとき、北方謙三という男をふと鏡に映してみると、自分が思っていたほど若くはなくなっていることに気づかされた。

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