灼光 しゃっこう
  神尾シリーズⅡ

失踪した青年、水野俊の後を追った元一等航海士・神尾修二はアフリカ・コートジボワールに降り立った。
俊を見つけ出し、日本の母親に送り届ければ仕事は簡単に終わるはずだった。
だが、彼の足どりはつかめず、捜査はたび重なる妨害にあい、神尾は生命を狙われた。
───男の誇りを守るため、彼は灼熱の地での闘いを始める。

<単行本>1991年11月 刊行
<文庫本>1994年 9月25日 初版発行

第一章

汗で、シャツが背中に貼りついていた。
温度はかなりのものだ。
ホテルから五分ほど歩いただけで、雨に打たれたようにシャツは濡れてくる。
まだ日没までにいくらか間があるようだ。
私は約束の店の扉を押した。
冷房はなく、天井の三枚羽根の煽風器が、トロトロと回りながら、煙草の煙でかすんだ蒸暑い空気をかき回しているだけだった。
特有の体臭もたちこめている。
酒場なのか食堂なのか、多分その両方だと思える店の中を見回し、私はバーカウンターの方へ歩いていった。
テーブルで羊の肉に食らいついていた男の眼が、私の動きを追ってきた。
カウンターに肘をついて煙草をくわえ、私はその黒人の方へ眼をやった。
私の約束の相手ではなく、見馴れぬ黄色い肌の男に眼をむけていただけのようだ。
注文したビールを口に含んだ。
生温かいビールを覚悟していたが、そこそこには冷えている。
早い時間にもかかわらず、テーブルはほぼ埋まっていた。
黒人ではない客は私だけで、みんな大事そうにビールや肉の皿を抱かえこんでいる。
私は舐めるように、チビチビとビールを飲んだ。
扉が開き、男がひとり飛びこんできた。
カウンターの前で、いきなり声をあげ、激しく腰を振って踊りはじめる。
かなり酔っているようだ。
Tシャツ姿のボーイがやってきて、うんざりしたような表情で押し出した。
いつものことらしい。
外は、ようやく暗くなりはじめていた。
二本目のビールに口をつけた時、若い男が二人入ってきた。
若いというだけで、年齢はよくわからない。
黒人は大抵そうだ。
「中国人?」
二人は、私のそばに立つと言った。
私はただ首を横に振った。
フランス語で、なにか言い続けている。
二つという言葉だけが、私には聞きとれた。
ビールを二本、あるいはウィスキーか何かを二杯、奢れと言っているのだろう。
白い歯の間でチロチロと動く赤い舌に、私は眼をやっていた。
煙草をくれという仕草をしたとき、私ははっきりと首を横に振った。
諦めたように、二人はほかの席へ行った。
私はビールを口に含んだ。
店の中にはフランス語が飛び交っている。
それがまったく気にならなくなった。
馴れている、と言えばそうなのだろう。
十年間、外国航路に乗り組んでいた。
日本の街より詳しい、海外の街もいくつかあるほどだ。
聞きとれぬ言葉を喋る人間たちにも、大して違和感は覚えない。
短くなった煙草を揉み消していると、老人がひとり、私のすぐ横のカウンターに両肘をついた。

...続きは本書でどうぞ
Designed By Hirakyu Corp.