望郷 ぼうきょう
  老犬シリーズⅢ

「因果な癖だ。臭いものには必ず首を突っ込む」高樹はつぶやく。
平凡な事件だった。
やくざの抗争、男が殺され、犯人は自主。
だが、定年間近な『老いぼれ犬』高樹警視は、そこに不審な影を見る。
大胆な操作と周到な罠。
やがて飛び込んで来る獲物を待つ・・・・
老犬シリーズ三部作、堂々の完結。

<単行本>1989年10月 刊行
<文庫本>1992年10月25日 初版発行

第一章

闇。
眼が馴れるまで、髙城は待った。
小屋の隅に、三人うずくまっていた。
動物の巣にでも入り込んだような気分だ。
高樹はゴロワーズをくわえ、ロンソンで火をつけようとした。
火花が散るだけで、なかなか芯に燃えつかない。
このところ、発火石の減りがはやくなった。
分解掃除をしていないからかもしれない、と髙城は思った。
ようやく芯に火が移り、小さな明かりがともった。
小屋の隅までは、ほとんど光は届かない。
自分の掌が、それだけ別のもののように闇に浮き出しただけだ。
「待たせて貰うよ、ここで」
煙を吐きながら、髙城は言った。
三人は、ほとんど気配を感じさせなかった。
「こんな暗闇に、ひと晩じゅういるわけじゃないんだろう。誰か明かりをつけろ」
高樹は、壁際のビールケースのような箱に腰を降ろした。
三人とも動かなかった。
それぞれが違う三頭の動物が、孤独に闇に潜んでいるような感じだ。
眼は完全に馴れている。
ひとりだけ、時々殺気を放ってくる男がいた。
動き出す度胸までは、決められないでいるようだ。
「おい、そこで頭に血を昇らせているの。おまえが明かりをつけろ」
強い口調ではない。
友達にむかうような喋り方だ。
男は動こうとしなかった。
意外に若いようだ。
「あんた、誰なんですか?」
一番奥の暗がりから、別の男が声をかけてきた。
こちらは、かなり歳を食っている。
「富永が戻ってくれば、私が誰かすぐにわかるよ」
「それで?」
「ちょっとした話があるだけさ」
小屋の中に、富永がいないことはわかっていた。
いれば、近づいてくる人間が誰かは、すぐに気づいたはずだ。
小屋に近づく時、髙城は鼻歌をやっていた。
「じゃ、ローソクをつけるから」
ひとりが、暗がりから這い出してきた。
マッチが擦られ、ローソクがともった。
マッチを擦った男は、四十前後で、痩せて頬骨だけが突き出ている。
隅から動こうとしない二人は、まだ十代の後半に見えた。

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