三国志 九の巻
  軍市の星(ぐんしのほし)

強大な曹操の謀略に敗れ、絶望の剣を抱えた馬超は、五十米道軍の超衛の許に身を寄せる。
劉璋の影に怯える教祖・張魯の言に従い、滞留の礼を尽くすべく成都へと向かう馬超。
その先には、運命の邂逅が彼を待ち受ける。
一方、孫権軍を合肥で破り、益州の劉備を討ちべく漢中の侵略を目論む曹操。
益州に立ち、孔明とともに曹操を迎え撃つ劉備。
そして、関羽は、劉備の北征を援護すべく、荊州の大地にその名を刻む。
北方謙三の〈三国志〉震撼の第九巻。

軍市の星 目次
 たとえ襤褸であろうと
 荊州の空
 新たなる荒野
 漢中争奪
 北へ駈ける夢
 野に降る雪
たとえ襤褸であろうと

山が吠えていた。
定軍山より西、二百五十里ほどの陣である。
山全体が咆哮をあげ、見たこともないようなけだものが疾駆してくる、と張衛は感じていた。
敵ではない。
しかし、傷つき、のたうつけだものである。
陣を敷いているのは、旗本二百騎を中心にした八百騎だった。
白水関に劉備軍の守兵はいるが、北へ攻め上ってくることは、まずないだろう。
武都郡の山中には支配者はおらず羌族の村がところどころにあるだけだった。
「あれを」
高豹が指さした。
十里ほど先の山上に、一団の軍兵が現れた。
およそ一千で、半数は騎馬である。
「間違いない。馬超だ」
「百騎ほどを、迎えにやりましょう。それで、馬超様も安心されるでしょう」
高豹が言い、黙って張衛は頷いた。
馬超は負けた。
一度潼関で負け、涼州に逃げ帰って再び兵を挙げ、雍州まで攻め返してきた。
曹操軍を相手に、それは驚くべきことで、冀城に拠った時はもしかするとと思わせるものがあった。
さすがに、馬超だった。
しかし、軍の勢いが、どこか上滑りなものに感じられた。
援軍を出せれば、と張衛は思ったが、益州に劉備が侵攻してきていて、とてもそれどころではなかったのだ。
漢中をしっかり守る。
張衛にいまできりことは、それしかなかった。
馬超は、長安にいた夏侯淵の軍に敗れたというより、綿密に張りめぐらされた曹操の諜略に敗れた、と言った方がいいかもしれない。
かつての関中十部軍など、その姿もなく、すべて曹操の諜略に落とされていたのだ。
雍州に攻め返してきた馬超と、連合しようという勢力はすでになかった。
馬超は、冀州から涼州にむかって逃げたというが、涼州もまた、曹操の諜略の手がのびていて、敦煌に到達することはできなかった。
涼州も、敵ばかりだったという。
馬超の消息は山中に消え、隴西に現れたと思うと、鳥鼠山を西から迂回して、武都郡に入っていた。
その間に、楡中にいた馬超の妻子は、夏侯淵の軍に殺されていた。
許都にいた、父の馬騰や弟の馬休、馬鉄などの一族すべてが、曹操の手にかかって殺されたことになる。
錦馬超は、まさにいまや襤褸だった。
それでもまだ、千数百の兵が馬超に従っている。
「鳥鼠山を西から迂回したというが、よほど山に詳しい道案内がいたのだろうな」
「牛志という、鳥鼠山で育った者が、豈かに麾下に加わったという話です」
「あそこまで夏侯淵が追っても討ちきれなかったのは、やはり馬超の名が、涼州では圧倒的であったのだろう」
韓遂の裏切りが、潼関での敗北のきっかけだった。
その韓遂も逃げ、一度は夏侯淵に降伏を申し入れたようだが、許されていない。
ついに、涼州、雍州も、曹操の支配下に入るということなのか。
ただ、益州には劉備がいた。
まだ成都の功囲中で落としてはいないが、益州全域の民政もはじめ、成都さえ落とせばすぐに充実した益州の主になるはずだった。
劉備には、荊州のかなりの部分もある。
揚州には、孫権もいる。
西の辺境を奪ったところで、まだ曹操の天下が決したということにはならない。
五斗米道は、劉備と曹操の対立の中で、生きる道を探っていくことになるだろう、と張衛は読んでいた。
どこかを攻めて勢力を拡げるというより、漢中をいかに守るかを考えなければならない。
遅すぎたのだ、と張衛は思っていた。
益州の情勢が動くのが、遅すぎた。
いや、自分が決断するのが、遅すぎた。
兄の張魯の臆病さをもっと早く見抜いていれば、方法はいくらでもあったのだ。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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