三国志 七の巻
諸王の星(しょおうのほし)
解き放たれた“臥竜”は、その姿を乱世に現した。
劉備の軍師として揚州との同盟をはかる諸葛亮は、孫権との謁見に向かった。
孫権に対し、曹操と劉備軍の交戦を告げる諸葛亮。
その言動に揚州は揺れ動く。
一方、孫堅、孫策に仕え、覇道のみを見つめてきた周愉は、
ついに孫権の心を動かし、開戦を宣言させる。
巨大なる曹操軍三十万に対して、勝機は見出せるのか。
周愉、諸葛亮、希代の知将が、誇りを賭けて挑む『赤壁の戦い』を描く
北方謙三の〈三国志〉第七巻。
諸王の星 目次
千里の陣
風化の利
夜が燃える
わが声の谺する時
病葉の岸
秋
諸王の星(しょおうのほし)
解き放たれた“臥竜”は、その姿を乱世に現した。
劉備の軍師として揚州との同盟をはかる諸葛亮は、孫権との謁見に向かった。
孫権に対し、曹操と劉備軍の交戦を告げる諸葛亮。
その言動に揚州は揺れ動く。
一方、孫堅、孫策に仕え、覇道のみを見つめてきた周愉は、
ついに孫権の心を動かし、開戦を宣言させる。
巨大なる曹操軍三十万に対して、勝機は見出せるのか。
周愉、諸葛亮、希代の知将が、誇りを賭けて挑む『赤壁の戦い』を描く
北方謙三の〈三国志〉第七巻。
諸王の星 目次
千里の陣
風化の利
夜が燃える
わが声の谺する時
病葉の岸
秋
千里の陣
夏口から柴桑へ、駈けた。
魯粛には五名の従者が付いていたが、諸葛亮には関平という若者が一人いるだけだ。
関羽の息子だというが、養子らしい。
諸葛亮は、黙々と馬を進めてきた。
魯粛と喋るのも野営の時ぐらいで、それも言葉数は少なかった。
兄の諸葛瑾とは、あまり似たところは感じられなかった。
兄よりも、ずっと激しい。
野望も胸に秘めている。
魯粛には、そう感じられた。
まだ若い。
孫権と同じくらいの年齢だろうか。
しかし、圧倒してくるような気配を、全身に漲らせていた。
孫権に、それはない。
周瑜に感じるものに似ていた。
柴桑まで、五百里ほどの道のりである。
野営をしながら進んだ。
魯粛は、野営にあまり慣れていなかったが、諸葛亮は屋根がないことを気にしているようでなかった。
焚火のやり方など、従者よりも手際が良かった。
秋も深まっている。
夜になると、さすがに冷えた。
思わず、焚火に手を翳したくなるほどだ。
「静かですね。これからの戦で、どれほどの人が死ぬかわからないというのに」
焚火を挟んで諸葛亮と向き合い、魯粛は言った。
本当は別のことを言いたかったが、じっと火を見つめている諸葛亮の前では、そんな言葉しか出てこなかった。
「周瑜将軍とは、どういう方です、魯粛殿?」
「当代の英雄のひとりだと、私は考えていますよ。
先代の孫策様と二人で組まれたら、天下の情勢はまるで違うものになっていた、と思います」
「孫権様とは、あまり合わないのですか?」
「とんでもない。
わが主は、周瑜殿に対して兄のような感情をお持ちです。
孫策様と違って、足元をまず固めていくという、堅実なお方ですが、周瑜殿はそれをしっかりと補佐してこられた」
「領土は、拡げればいいものではない。
国の力がまとまりにあることを、確かに孫権様は証明しております。
しかし、曹操もそれをよく知っている」
「曹操が強大すぎる。
それは、わが家中でも文官を中心にして根強く主張されています。
ここで、便宜上の降伏をすべきではないかとね」
諸葛亮の表情は、まったく動かなかった。
孫家の幕僚の中にある降伏論は、まったく気にしていないようだった。
それとも、ただそう装っているだけなのか。
諸葛亮という青年の肚の内が、二日一緒に旅をしても、魯粛には読みきれていなかった。
これまでの劉備軍の動きをみていると、戦術としては頷けないものが、数多くある。
第一、十万の人民を連れて江陵にむかうことは、どう考えてみても無謀だった。
さらに深く考えると、曹操軍を江陵にむかわせるようにしむけた、とも思える。
十万の人民を囮にしてだ。
しかし、そんなことがあるだろうか。
大軍で、荊州を攻めこんだ曹操に対して、闘う姿勢を示したのは、劉備だけだった。
しかし、曹操が荊州を制したいま、劉備軍はほとんど損害を受けず、荊州の兵も加えて兵力だけは四倍になっている。
そして江陵を難なく奪った曹操は、荊州の全水軍を掌握することになった。
曹操が水軍を掌握したことで、揚州攻めは必至だろうと魯粛は思ったのだ。
曹操は、大軍を出しながら、まだ戦をしていないに等しい。
江陵を難なく曹操に奪らせたのは、揚州を攻めさせるためだったと考えられないか。
荊州で、単独で曹操に対抗するより、揚州と結んで闘うという発想が、劉備軍にははじめからあっらのではないか。
それを、この青年が考えたというのか。
江夏に黄祖がいたので、魯粛も周瑜も、そして孫権も、荊州の動きは注意深く見守っていた。
劉備軍が、南陽郡新野に駐屯して、七年である。
精強なのはわかっていたが、寡兵であった。
曹操に対する前衛、という位置も変わっていなかった。
(…この続きは本書にてどうぞ)
夏口から柴桑へ、駈けた。
魯粛には五名の従者が付いていたが、諸葛亮には関平という若者が一人いるだけだ。
関羽の息子だというが、養子らしい。
諸葛亮は、黙々と馬を進めてきた。
魯粛と喋るのも野営の時ぐらいで、それも言葉数は少なかった。
兄の諸葛瑾とは、あまり似たところは感じられなかった。
兄よりも、ずっと激しい。
野望も胸に秘めている。
魯粛には、そう感じられた。
まだ若い。
孫権と同じくらいの年齢だろうか。
しかし、圧倒してくるような気配を、全身に漲らせていた。
孫権に、それはない。
周瑜に感じるものに似ていた。
柴桑まで、五百里ほどの道のりである。
野営をしながら進んだ。
魯粛は、野営にあまり慣れていなかったが、諸葛亮は屋根がないことを気にしているようでなかった。
焚火のやり方など、従者よりも手際が良かった。
秋も深まっている。
夜になると、さすがに冷えた。
思わず、焚火に手を翳したくなるほどだ。
「静かですね。これからの戦で、どれほどの人が死ぬかわからないというのに」
焚火を挟んで諸葛亮と向き合い、魯粛は言った。
本当は別のことを言いたかったが、じっと火を見つめている諸葛亮の前では、そんな言葉しか出てこなかった。
「周瑜将軍とは、どういう方です、魯粛殿?」
「当代の英雄のひとりだと、私は考えていますよ。
先代の孫策様と二人で組まれたら、天下の情勢はまるで違うものになっていた、と思います」
「孫権様とは、あまり合わないのですか?」
「とんでもない。
わが主は、周瑜殿に対して兄のような感情をお持ちです。
孫策様と違って、足元をまず固めていくという、堅実なお方ですが、周瑜殿はそれをしっかりと補佐してこられた」
「領土は、拡げればいいものではない。
国の力がまとまりにあることを、確かに孫権様は証明しております。
しかし、曹操もそれをよく知っている」
「曹操が強大すぎる。
それは、わが家中でも文官を中心にして根強く主張されています。
ここで、便宜上の降伏をすべきではないかとね」
諸葛亮の表情は、まったく動かなかった。
孫家の幕僚の中にある降伏論は、まったく気にしていないようだった。
それとも、ただそう装っているだけなのか。
諸葛亮という青年の肚の内が、二日一緒に旅をしても、魯粛には読みきれていなかった。
これまでの劉備軍の動きをみていると、戦術としては頷けないものが、数多くある。
第一、十万の人民を連れて江陵にむかうことは、どう考えてみても無謀だった。
さらに深く考えると、曹操軍を江陵にむかわせるようにしむけた、とも思える。
十万の人民を囮にしてだ。
しかし、そんなことがあるだろうか。
大軍で、荊州を攻めこんだ曹操に対して、闘う姿勢を示したのは、劉備だけだった。
しかし、曹操が荊州を制したいま、劉備軍はほとんど損害を受けず、荊州の兵も加えて兵力だけは四倍になっている。
そして江陵を難なく奪った曹操は、荊州の全水軍を掌握することになった。
曹操が水軍を掌握したことで、揚州攻めは必至だろうと魯粛は思ったのだ。
曹操は、大軍を出しながら、まだ戦をしていないに等しい。
江陵を難なく曹操に奪らせたのは、揚州を攻めさせるためだったと考えられないか。
荊州で、単独で曹操に対抗するより、揚州と結んで闘うという発想が、劉備軍にははじめからあっらのではないか。
それを、この青年が考えたというのか。
江夏に黄祖がいたので、魯粛も周瑜も、そして孫権も、荊州の動きは注意深く見守っていた。
劉備軍が、南陽郡新野に駐屯して、七年である。
精強なのはわかっていたが、寡兵であった。
曹操に対する前衛、という位置も変わっていなかった。
(…この続きは本書にてどうぞ)