三国志 四の巻
  列肆の星(れっしのほし)

宿敵・呂布を倒した曹操は、中原での勢力を揺るぎないものとした。
兵力を拡大した曹操に、河北四州を統一した袁紹の三十万の軍と決戦の時が迫る。
だが、朝廷内での造反、さらには帝の信頼厚い劉備の存在が、曹操を悩ます。
袁術軍の北上に乗じ、ついに曹操に反旗を翻す劉備。
父の仇敵黄祖を討つべく、江夏を攻める孫策と周瑜。
あらゆる謀略を巡らせ、圧倒的な兵力で曹操を追いつめる袁紹。
戦国の両雄が激突する官渡の戦いを描く、
北方謙三の〈三国志〉第四巻。

列肆の星 目次
 遠い雷鳴
 わがたつべき大地
 光と影
 策謀の中の夢
 風哭く日々
 乾坤の荒野
 三者の地
遠い雷鳴

顔が、ひきつっていた。
張飛にはそれがはっきり見えたが、容赦せずに丸太で馬から叩き落とした。
頭蓋の潰れる感触が、はっきりと丸太に伝わってきた。
さらに、四人、五人と丸太で叩き落とす。
みんな、腕や戟で丸太を受け、その勢いで馬から落ちただけだった。
落ち方も、下手ではない。
「やめ」
張飛は声をあげた。
三百の騎馬が、動きを止めた。
頭蓋を砕かれた青年は、死んでいた。
小沛にいたころ、張飛自身が村から連れてきて、兵にしたのだった。
馬の乗り方が巧みだったが、武器の遣い方は知らなかった。
頭だけは守れ、とあれほど教えておいたのに、と張飛は思った。
調練で死ぬ兵は、実戦でも生き残れない。
そう思うしかなかった。
「張飛、調練で兵を死なせてはならん。
戦場で果てることができぬ不憫を思わぬのか」
「申し訳ありません、殿」
劉備は、関羽と馬を並べて調練を見ていた。
主君であり、義兄弟の長兄でもある劉備は、日によって気分が変わる。
激しくなったり、沈み込んだりするのだ。
しかしそれは、兵たちにはまったくわからないだろう。
感じ取ることができるのは、多分、自分と関羽の二人だけのはずだ、と張飛は思っていた。
「屍体を片付けろ」
張飛は、そばにいる者に命じた。
劉備は、穏やかだった。
そういう日であることは、調練をはじめる前から張飛にはわかっていた。
もっと細い丸太を遣うこともできた。
しかしこういう日に、張飛はひとりか二人殺してみる。
劉備が、必ずたしなめてくることがわかるからだ。
その言葉は、張飛だけでなく、調練中の兵全員に聞こえる。
総大将のそういう言葉は、兵を安心させるはずだった。
劉備が激しさをむき出しにしていると感じられる日は、やはりひとりか二人、動きの悪いものを打ち殺す。
劉備がやりかねないからだ。
かっとすると、劉備は見境がつかなくなることがある。
義兄弟三人でひとりだと、ずっと関羽に言い聞かされてきた。
そういう気持ちで長兄の劉備を守りたてていけばいい。
張飛は、懸命に自分ができることを考えた。
戦で働くこと以外では、錬兵だった。
関羽には学問があり、いまも書物はよく読んでいる。
そんな真似は、張飛にはできなかった。
怒りを抑えることも、関羽ほどできはしない。
人並み外れた体軀と力があるだけだ。
「張飛、今日の調練は、これくらいにしておけ」
関羽が言った。
鍛えるばかりでは、兵は強くならない。
時には休ませることも必要で、劉備や関羽がいないところでは、張飛は自分がなまけるふりをして、よく兵を休ませた。
丸一日、漫然と調練を続けるより、命懸けの調練を半日やった方がいい、と張飛が考えていた。
「私は、兄者と城内に戻る。
西の丘陵で趙雲が調練をしている。
合流して、幕舎へ戻れ」
趙雲は、八百の騎馬隊の調練だった。
張飛が引き受けている三百より、馬の扱いで一段劣る。
だから武器を遣う調練というより、馬を巧みに乗りこなすためだった。
劉備と関羽は、五騎の供を連れて、許都に戻っていった。
呂布を討ち果たしたからといって、曹操は徐州を返そうとはしなかった。
考えてみれば当たり前のことだが、張飛は腹を立てた。
自分のものは、おのが手で摑まなければならない。
それが、男というものだ。
そう言ったのは、劉備だった。
わかる気がした。
涿県を五十人ほどで出てからずいぶんになるが、劉備は自分の力で手に入れたもの以外は、あっさりと手放してきたのだ。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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