遠く空は晴れても
  約束の街① (ブラディ・ドール11)

夏の海が吼えていた。
焼けつくような陽をあびて、私は協会の葬列に参列した。
不意に、渇いた視線が突き刺さる。
危険な臭いが漂う男、川辺との出会いだった・・・。
やがて、川辺は芳林会の内部抗争を惹き起こす。
だが、奴の標的は別の何かだ。
トラブルしか縁がないために<ソルティ>と呼ばれる私は、
この街の利権抗争に深く踏み込んでいく・・・・。
酒瓶に懺悔する男の哀しみ。
街の底に流れる女の優しさ。
虚飾の光で彩られたリゾートタウンで、ハードボイルドの系譜を塗り替える
弧峰の大長編小説の幕があく。

<単行本>平成5年 1月 刊行
<文庫本>平成7年10月25日 初版発行

弔鐘

低い声が続いていた。
私は、襲いかかってくる睡魔に、抗いきれずにいた。
それでも完全に眠ってはいなかった。
顔を天井にむけるのではなく、うつむいていなければと自分に言い聞かせていたのだ。
不意に、頭の中にカン高い唄声が谺した。
讃美歌がはじまったようだ。
私はなんとか、重い頭を持ちあげた。
讃美歌はすぐに終わり、また牧師の説教だった。
同じことが何度もくり返され、讃美歌では私の重い頭は持ちあがらなくなった。
人々の動き。
献花がはじまったようだ。

私は頭を持ちあげ、それからかなり努力して立ち上がった。
献花の列につき、白いカーネーションを柩の上に供えると、礼拝堂の外へ出た。
陽が照りついていた。
植込みの緑が、白っぽく見えるほど強い陽光だ。
こんな日には、誰も喪服は似合わない。
柩は、なかなか運び出されてこなかった。
小さな街の、ほんの小さな義理に縛られて、私は葬儀に列席していた。
高台にある教会の庭からは、海がよく見えた。
競るように、モーターボートが二隻突っ走っている。
二本の白い航跡は、ところどころ重なって見えた。
「こう暑いと、太陽がいまいましいな、ソルティ」
背後から声をかけられた。
「太陽も、商売物みたいなものでしてね」
言って、私は煙草に火をつけた。
声で、誰だかわかった。
「喪服が似合わない日だと、俺はなんとなく考えていたよ」
俺もという言葉の代りに、私は煙を吹き出した。
この男は、いつも思っていることを大声で言いすぎる。
話しかけている以外の人間にも、聞かせたがっているのかもしれない。
蝉が鳴いていた。
樹木の多い街だ。
礼拝堂の入口の前の広場には、細かな砂利が敷いてあって、歩くたびに音をたてた。
それは蝉の鳴声の中で、異様な空気の軋みのように聞こえた。
広場の隅の灰皿で煙草を消し、私はハンカチで首筋や顔を拭った。
礼拝堂からは、喧嘩を済ませた人々が、次々に出てきている。
私の数メートル横に、見知らぬ男が立っていた。
私の眼を惹いたのは、見知らぬということではなく、黒いスーツをきちっと着込んでいるのに、汗ひとつかいている様子がないということだった。
見知らぬ人間なら、葬式にはいくらでもいる。
そして男は、海に背をむけて立っていた。

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