ふたたびの、荒野
“ブラディ・ドール”シリーズ 10

冬が海からやってくる。
毎年それを眺めているのが好きだった。
鈍く輝きはじめた海をみて、
私は逝ってしまった男たちを想い出す。
ケンタッキー・バーボンで喉を灼く。
だが、心のひきつきまでは消しはしない。
いま私にできることは、この闘いに終止符を打つことだ。
張り裂かれるような想いを胸に、
川中良一の最後の闘いが始まる。
“ブラディ・ドール”シリーズ、ついに完結!

<単行本>平成4年1月 刊行
<文庫本>平成5年6月10日 初版発行

予兆

霧雨。
秋が、躰にしみこんでくるようだった。
私はトレンチを脱ぎ、車に乗りこんだ。
陽が落ちるのが早い季節だ。
谷間の小さな村は、すでに夜の気配に包まれはじめている。
車を出した。
時折、ワイパーでフロントスクリーンを拭えばいい程度の雨だった。
私の、黒いポルシェ・カレラ4は、一万キロを超えてようやくエンジンが軽くなりなじめていた。
スロットルの微妙なレスポンスで、それを感じる。
すぐに海沿いの道に出た。
霧雨は相変わらずだだったが、いくらか明るくなった感じがする。
私が海を好きだということも、多分に影響しているのかもしれない。
あまり飛ばさなかった。
飛ばしたいという心境ではない。
それに、昼の光が消えていく、微妙な時間だ。
ホテル・キーラーゴの玄関に車を入れた。
顔見知りのボーイに、車を任せる。
以前は、他人に車を任せることなど、まず考えられないことだった。
自分よりも運転がうまい連中がたくさんいる。
わかりきったことだが、ステアリングを握っていると、どこかにそれを認めたくない気持ちがある。
そんなことが、どうでもいいと思える歳になったということか。
私は、四十三歳だった。
レストランの隅の席でコーヒーを飲んでいると、秋山が現れた。
私が来るのを待っていた、という感じの現れ方だ。
「やっぱり、誰か来ていたか、川中?」
腰を降ろすなり、秋山は言った。
「俺がなにをやるか、お見通しって言い方じゃないか」
「見通される、おまえの方が悪い」
秋山が煙草に火をつけ、私はコーヒーの残りを飲み干した。
「やはり、東京から買いに来たそうだ。
売るはずないだろう、と村長は言ってたが、ほんとうに売る時は、俺に売ってくれるという約束を取り付けてきた」
「どうせ口約束だろう」
「無理だな、これ以上は」
私も、煙草に火をつけた。
この街で起きる大きなトラブルのほとんどが、土地の買収に絡んでいた。
工場誘致政策で、市が大々的に郊外の土地を企業に売った。
かなりの企業が進出してきて工場を建てたが、なにも建たず手付かずの土地も残っている。
工場誘致政策は一段落したという感じだが、今度は外部の不動産業者を中心とする、土地の買収がはじまった。
人口急増地域で、土地価格の上昇もかなりのものだった。
それも、一段落したはずだ。
しかしまた、郊外の農村地帯に、買収の手がのびてきていた。

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