黙約 もくやく
“ブラディ・ドール”シリーズ 6

砂糖菓子のように崩れていく ── 女はそう形容した。
そんな男の魅かれるのだと・・・・。
手術には抜群の技量を持ちながら、野心に背を向け、場末をさまよう流れの外科医。
闇診療に手を染めたのも、港町の抗争に巻き込まれたのも、成り行きで意地を張ったのがきっかけだった。
だが、酒場に集う男たちの固い絆が外科医の魂に火をつけた。
死ぬために生きてきた男。
死んでいった友との黙約。
そして、女の激しい情熱につき動かされるようにして、外科医もまた闘いの渦に飛び込んでいく。
“ブラディ・ドール”シリーズ、第六弾。

<単行本>平成元年4月 刊行
<文庫本>平成4年3月25日 初版発行

  外科医

どこにでもいそうな男だった。
額の両端の生え際がかなり後退し、オールバックの髪型がよく似合っている。
髪型の割には、歳はあまり食っていないようだ。
せいぜい四十。
そんなところだろう。
「脅迫だなんて、思わないでくださいよ」
「脅迫される理由は、なにもない」
「でしょうね」
男は笑った。
「寺島というクランケは、確かにいた。
カルテがここにないんで正確なことは言えないが、自殺未遂で運ばれてきた。
首を切り付けていてね。それから手首」
寺島が死んだと言われても、それからひと月は経っているはずだ。
私のところに入院設備はないので、手術して市立病院に移送している。
緊急の手術が、確かに必要な状態ではあった。
「様子を詳しく喋って貰えればいいんでね」
「理由がいるね」
「なぜ?」
「患者のプライバシーに関することだ。医者にも、守秘義務というやつはある」
「癌にかかったやつを、家族に知らせたりはするじゃないですか」
守秘義務というより、むしろ警察への報告義務だった。
特に、刑事事件が連想されるものに対しては、通報の義務があるとされている。
ほかには、伝染病の報告くらいだ。
「俺は、長いこと台湾にいて、一週間ばかり前に戻ってきたところでね。寺島は、古い友人だったんですよ」
「緊急の処置をした。それから市立病院に移した。それだけのことだよ。
処置の内容を訊きたければ、専門的になるが詳しく教えてやってもいい」
「俺が訊きたいのは、やつの様子だよ。怯えていたとか、怒り狂っていたとか、ほかになにか気になることを言ったとか」
「医者はね、そういうことは聞きませんよ。特に外傷だし、傷の状態を冷静に判断する方が先でね」
「耳はあるでしょう」
「痛い、と言ってましたね」
男が、またにやりと笑った。
私は煙草に火をつけた。

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