秋霜 しゅうそう
“ブラディ・ドール”シリーズ 4

荒海を渡り、絶壁をよじ登って、男は女のもとへやってきた。
「私がいる。おまえには私がいる
ただその一言を伝えるために──。
絵を描いて、生きてきた。
暴力になど縁がない、と思ってきた。
生命ひとつ分の弾丸よけにしかならないだろう。
だが、決めたのだ。
生ある限りおまえを護る。
人生の秋を迎えた画家がめぐり逢った、若い女。
過去も本名も知らない──何故追われるのかも。
だが、女の瞳に真心を見たとき、男の何かが弾けた。
海のような愛に包まれて、女の過去が解けていく──。
再び熱き闘いの幕が開く。
“ブラディ・ドール”シリーズ、第四弾。

<単行本>1987年8月 刊行
<文庫本>平成2年10月25日 初版発行

  落日

めずらしい名前のホテルだった。
海べりのリゾートという感じだが、街からそれほど離れてもいない。
私は、車と一緒に画材や荷物もベルボーイに任せた。
おかしな扱いはしないだろう、ということは、ベルボーイの挙止ひとつを見ても大抵わかる。
世界じゅう旅行をして、数えきれないほどのホテルに泊まってきた。
この街に入ってから、玲子はちょっと気分を悪くしたようだった。
なぜなのかは、わからない。
シートに身を沈めたまま、身動きひとつしなかったのだ。
一度だけ、明確な意思を示したのは、シティホテルへ車を入れようとした時だった。
眉を寄せ、首を激しく横に振った。
仕方なく、私はシティホテルをやりすごし、市街を抜けて、海沿いの道を走ってきた。
旅館くらいなら、見つかるだろうと思ったのだ。
これほどのホテルがあるとは、想像もしていなかった。
玲子も、このホテルに拒否反応は示さなかった。
「続き部屋が欲しい」
フロントで、私は言った。
海の絵。
しばらく滞在するには、恰好の場所かもしれない。
「セミ・スウィートならご用意できます。
リビングとツインベッドルームの組み合わせでございます」
フロントクラークは、初老の穏やかな眼をした男だった。
私は頷いた。
「御予定は?」
「それが、はっきりしない。少なくとも、三日ばかりはいてみようと思っているが」
「それでは、九月十四日の御出発ということにしておきます。一応の御予定ということで」
「船はか借りられるかね、ここで?」
「御自分で、操縦なさる船でございますか?」
「いや。乗せて貰うだけさ。沖の海の色を見たり、陸地を眺めたり」
「それでしたら、むかいのヨットハーバーにクルーザーがございます。クルーがおりますので、御不自由はかけないと思います」
頷いて、私は宿泊カードにサインした。
名前を見て、フロントクラークはかすかに笑みを漏らした。
誰でも知っているというわけではないが、絵が好きなら私の名前はわかるかもしれない。
「御案内いたします」
ベルボーイが、キーを握って先導した。

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