碑銘 ひめい
“ブラディ・ドール”シリーズ 2

港町N市──市長を巻き込んだ抗争から2年半が経過した。 生き残った酒場の経営者と支配人、敵側に回った弁護士の間に、新たな火種が燃え始めた。
そこに流れついた若い男。
檻の中で過ごした2年間が男の胸に静かな殺意を抱かせていた。
『さらば、荒野』につづく著者会心の
“ブラディ・ドール”シリーズ第2弾!

<単行本>
<文庫本>昭和62年2月25日 初版発行

  老人

ヘッドライトの光の中に、男の姿が一瞬よぎった。
俺は、パーキングエリアのコンクリートの壁に鼻さきをくっつけて、車を停めた。
降りてドアを閉めると、男が近づいてきた。
「ずっと、国道を走ってきたのかね?」
錆の浮いたような、嗄れた声だった。
それだけで、老人だとわかる。
俺は、小便ができそうな暗がりを眼で捜した。
老人の服の色が、何とか見分けられるほどに、眼が闇に慣れてきた。
「どこまで、行くんだね?」
「どこまでだろうな」
「高速も使わねえで、酔狂なこった」
車は、時折やってくるだけだった。
ヘッドライトの明かりも、パ-キングエリアの奥までは届いてこない。
海の近くだ。
かすかに、潮の匂いがする。
パーキングエリアの片隅に草むらを見つけて、俺は近づいていった。
老人は車のそばに立ったままだ。
用を足して戻ってくると、俺は煙草に火をつけた。
肌には感じないが、風が煙を闇の中に吹き流した。
大阪を出たのが、午前一時だった。
三時間近く国道を走ってきて、体がちょっと強張っている。
高速を突っ走ってこなかったのは、運転のカンを取り戻すためだ。
高速道路は、ただ走ればいいようにできている。
老人が、馴々しく車のルーフを叩いた。
若いやつなら、蹴りの一発も入れてやるところだ。
「乗せて貰えんかね?」
「タクシーじゃねえんだぜ」
「だから、金は払わんよ」
「俺はいいが、車が嫌がっている」
「ほう、車がね」
老人が、腰を屈めて運転席を覗きこんだ。
頭頂が薄くなっていた。
残っている髪は、白いものが多いようだ。
爺さんに興味はなかった。
といって、若いやつが好きなわけでもない。
人間が嫌いなのだ。
付き合いたいと思う男に出会うのは、ごくまれだった。
俺は煙草を捨て、老人の躰を押しのけるようにしてドアを開けた。

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