北方謙三
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三国志 十三の巻
  極北の星(きょくぼくのほし)

志を継ぐ者の炎は消えず。
曹真を大将軍とする三十万の魏軍の進攻に対し、諸葛亮孔明率いる蜀軍は、迎撃の陣を南鄭に構えた。
先鋒を退け、緒戦を制した蜀軍だったが、長雨に両軍撤退を余儀なくされる。
蜀の存亡を賭け、魏への侵攻に『漢』の旗を掲げる孔明。
長安を死守すべく、魏の運命を背負う司馬懿。
そして、時代を生き抜いた馬超、爰京は、戦いの果てに何を見るのか。
壮大な叙事詩の幕が厳かに降りる。
北方謙三の〈三国志〉堂々の完成。

極北の星 目次
 降雨
 山に抱かれし者
 両雄の地
 敗北はなく勝者も見えず
 日々流れ行く
 遠き五丈原
降雨

出陣と決まった。
ようやく、曹真が自分の意見を押し通したという感じで、いかにも遅い決断だと司馬懿には思えた。
漢中への侵攻は、曹真の大将としての威信を賭けたものである。
それが、陳羣などの反対により、何度も白紙に戻された。
曹真の自信のなさが、見え隠れしていたのだ。
あの曹操が、五十万を率いて行っても、撤退せざるを得なかった漢中進攻である。
副将は、司馬懿だった。
全軍で三十万。
子午道、斜谷道を中心に、一斉に漢中に侵攻する作戦である。
「曹真は、墓穴を掘ったと思います、殿。
攻めるという気持ちはわかりますが、すでに機を逸しているのです」
宮殿での決定のあと、洛陽の館に戻った司馬懿に、尹貞が無表情に言った。
表情はあるのかもしれないが、小さなものは顔の赤痣が消してしまうのである。
出陣の是非について、曹叡は積極的な姿勢を示さなかった。
ただいつまでもくり返される議論に飽き、軍の頂点にいる曹真にすべてを任せる、と投げ出すように決定したのである。
魏国の領土に攻めこまれたのなら、陳羣を筆頭とする文官も、戦に反対するわけはなかった。
武都、陰平の両部を奪れている、というあまり大勢には影響のない状況を、曹真は出陣の根拠とした。
そこにも、曹真の焦りは見える。
「私は副将なのだ、尹貞」
「ですから、決して負けないことです。 少なくとも、殿の指揮下での戦闘では、決して負けないこと。
勝つ必要などありません。
負けない戦なら、諸葛亮とも充分に闘えるでしょう。
曹真は、勝とうとするはずです。
そこで墓穴を掘ることになります」
「負けない戦か」
曹真が子午道を行くなら、自分は斜谷。
そういうふうに、分担して進むことになるだろう、と司馬懿は思っていた。
三十万なら、正攻法しかないのである。
司馬懿が考えていたのは、退路の確保だった。
攻めこんできた蜀軍と、ぶつかるのとはわけが違う。
敵地で進路を絶たれれば、三十万は全滅しかねない。
曹真の、蜀進攻策にも、意味がないわけではなかった。
このままでは、諸葛亮は何度でも魏領に攻めこんでくる。
それを追い返すことは、難しくない。
しかし煩わしい。
そして気づいた時、およそ想像もしていない、諸葛亮の大作戦に巻き込まれていることになる。
それを避けるために、滅ぼせないまでも、国力が外征に耐えられないほどに、蜀を叩いておこうという考えは、確かにある。
しかし、時機が悪い。
曹ひ叡の決定も、二転三転している。
つまり、国をあげて蜀を叩こう、という態勢にはないのだ。
「殿は、対職戦は、どうあるべきだとお考えなのですか?」
「周到に待つことだな、尹貞」
「周到に、待つのですか。それが、私もよろしいと思います」
蜀は、必ず攻めこんでくる。
それを待つ。
着実に打ち払うためだけに、すべての力を注ぐ。
やがて、蜀の国力は疲弊してくるはずだ。
もし攻めるなら、その時に国をあげて攻めればいい。
いままでとは違うものが、司馬懿には見えはじめていた。
曹操、曹丕のころと、魏という国は少しずつまた変わりはじめているのだ。
乱世を生き抜いた曹操はもとより、曹丕も、国というものが、戦を前提として成立している、と考えていたことがあった。
民政に力を注いだ曹丕も、やはり戦のための国力という気持は持っていたのだ。
しかし、曹叡にはそれがない。
民政と同じように、戦があり、外交がある。
面倒な時は放っておけば、誰かが代わりにやるという考えが強いのだ。
それは、次第に顕著な傾向になりつつある。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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