三国志 十一の巻
鬼宿の星(きしゅくのほし)
張飛は死なず。
呉への報復戦を劉備自ら率いる蜀軍は、関羽を弔う白亜の喪章、張飛の牙旗を揚げ、破竹の勢いで梔帰を制した。
勢いに乗る蜀軍に対し、孫権より軍権を委ねられた陸遜は、自軍の反対を押し切り、夷陵にて計略の秋を待つ。
一方、自らの生きる道を模索し、蜀を離れていく馬超。
呉の臣従に対し、不信感を募らせる魏帝・曹丕。
そして孔明は、呉蜀の決戦の果てに、遺された志を継ぐ。
北方謙三の〈三国志〉衝撃の第十一巻。
鬼宿の星 目次
前夜
戦塵の彼方
いつか勝利の旗のもとで
去る者もあり
滅びの春
月下の二人
鬼宿の星(きしゅくのほし)
張飛は死なず。
呉への報復戦を劉備自ら率いる蜀軍は、関羽を弔う白亜の喪章、張飛の牙旗を揚げ、破竹の勢いで梔帰を制した。
勢いに乗る蜀軍に対し、孫権より軍権を委ねられた陸遜は、自軍の反対を押し切り、夷陵にて計略の秋を待つ。
一方、自らの生きる道を模索し、蜀を離れていく馬超。
呉の臣従に対し、不信感を募らせる魏帝・曹丕。
そして孔明は、呉蜀の決戦の果てに、遺された志を継ぐ。
北方謙三の〈三国志〉衝撃の第十一巻。
鬼宿の星 目次
前夜
戦塵の彼方
いつか勝利の旗のもとで
去る者もあり
滅びの春
月下の二人
前夜
張飛は死なず。
白帝から秭帰までの進撃を見ると、劉備にそうとしか思えなかった。
先鋒だけでの、鮮やかすぎるほどの進撃は、まさしく張飛の指揮そのものだった。
兵も馬も、白い喪章をつけているという。
関羽に対する弔意で、これからさらに張飛とともに、江陵、武昌を攻めるのだ、と劉備は思った。
自分の軍の先鋒は、いつも張飛だった。
成都から東へ、七百五十里ほど進んでいた。
本隊の三万である。
一万は、すでに白帝に到着し、占領地の整備にとりかかっている。
願わくば、秭帰まで。
その軍令がなんだったのかと思うほど、張飛軍の進撃はすさまじいものだった。
ただ、さすがに夷陵まで攻めさせようとは思わなかった。
呉軍の本隊が待ち構えているのだ。
それには、全軍で当たるべきだろう。
夷陵を抜けば、進軍はさらにたやすいものになる。
張飛軍は、自らの庭を駈けるように、荊州の原野で暴れ回るに違いない。
そのために、力のためのようなものが必要だと、劉備は思っていた。
力をためにため、一気に荊州で爆発させるのである。
「荊州武陵軍の少数民族が、かなりの数産軍してきております」
応真が報告に来た。
応累の息子である。
父に勝る働きをするであろうと、孔明が推挙してきた。
孔明が連れてくるまで、応累に息子がいることを、劉備は知らなかった。
そういうことを、応累はあまり語ろうとしなかったのだ。
小肥りで眼が細く、応累が若いころの面影をしっかり持っている。
二十六歳だというが、三十を超えているように見えた。
応累の手下だった者たちを、よくまとめてはいるようだ。
「先鋒の進撃が、やはり大きかったようです。
このままだと、二万近くが産軍してくるであろう、と馬良様は言っておられます」
少数民族の説得に当たっているのは、馬良である。
一万集まれば上出来だと劉備は思っていたが、それどころではないようだ。
戦闘力では蜀軍に及ばないが、荊州に侵攻した際の、城の守りには使える。
「数日中に、馬良様は本隊に戻られるそうです。
あとは一気に白帝まで進み、その勢いが当たるべかざるものだと見せてやる方が、説得より効果があるであろう、と言っておられます」
「そうか、馬良が戻るか」
ゆっくりと進軍してきたが、これで一気に白帝へ進み、呉の本隊に対する陣を展開する事ができる。
ゆっくり進んだのは、少数民族の説得に時が必要だったからである。
「手の者の半数は、荊州に散っているのだな、応真?」
「いまはすでに、半数以上を潜りこませております。
夷陵から江陵に至る呉軍の情勢は、手に取るようにわかります」
「おかしな軍の動きを、見逃すな、応真。
これからは、張飛軍が奇襲を受けることを、最も警戒しなければならん」
「そこに、一番眼を注ぐようにいたします。
いまのところ、正面から反撃しようという動きは、呉軍にはありません」
「心せよ。
父の弔いでもあるが、逸ってはならぬ。
まずは、敵をよく見きわめるのだ」
「心に刻みつけております。手の者たちにも、そう言い聞かせます」
応累は、軍人ではなかった。
だからその働きは顕著には見えはしないが、劉備軍の諜略や情報の収集を、すべて担ってきたのだ。
寡兵でも乱世を生き抜けたのは、応累の働きがあったと言っていい。
本陣の幕舎でひとりになると、劉備はいつものように江陵、武昌の周辺の地図に見入った。
江陵の地形は、細かいところまでよくわかっている。
攻め方も、考えてある。
落とすのに、それほどの手間はかからないだろう。
問題は、武昌だった。
(…この続きは本書にてどうぞ)
張飛は死なず。
白帝から秭帰までの進撃を見ると、劉備にそうとしか思えなかった。
先鋒だけでの、鮮やかすぎるほどの進撃は、まさしく張飛の指揮そのものだった。
兵も馬も、白い喪章をつけているという。
関羽に対する弔意で、これからさらに張飛とともに、江陵、武昌を攻めるのだ、と劉備は思った。
自分の軍の先鋒は、いつも張飛だった。
成都から東へ、七百五十里ほど進んでいた。
本隊の三万である。
一万は、すでに白帝に到着し、占領地の整備にとりかかっている。
願わくば、秭帰まで。
その軍令がなんだったのかと思うほど、張飛軍の進撃はすさまじいものだった。
ただ、さすがに夷陵まで攻めさせようとは思わなかった。
呉軍の本隊が待ち構えているのだ。
それには、全軍で当たるべきだろう。
夷陵を抜けば、進軍はさらにたやすいものになる。
張飛軍は、自らの庭を駈けるように、荊州の原野で暴れ回るに違いない。
そのために、力のためのようなものが必要だと、劉備は思っていた。
力をためにため、一気に荊州で爆発させるのである。
「荊州武陵軍の少数民族が、かなりの数産軍してきております」
応真が報告に来た。
応累の息子である。
父に勝る働きをするであろうと、孔明が推挙してきた。
孔明が連れてくるまで、応累に息子がいることを、劉備は知らなかった。
そういうことを、応累はあまり語ろうとしなかったのだ。
小肥りで眼が細く、応累が若いころの面影をしっかり持っている。
二十六歳だというが、三十を超えているように見えた。
応累の手下だった者たちを、よくまとめてはいるようだ。
「先鋒の進撃が、やはり大きかったようです。
このままだと、二万近くが産軍してくるであろう、と馬良様は言っておられます」
少数民族の説得に当たっているのは、馬良である。
一万集まれば上出来だと劉備は思っていたが、それどころではないようだ。
戦闘力では蜀軍に及ばないが、荊州に侵攻した際の、城の守りには使える。
「数日中に、馬良様は本隊に戻られるそうです。
あとは一気に白帝まで進み、その勢いが当たるべかざるものだと見せてやる方が、説得より効果があるであろう、と言っておられます」
「そうか、馬良が戻るか」
ゆっくりと進軍してきたが、これで一気に白帝へ進み、呉の本隊に対する陣を展開する事ができる。
ゆっくり進んだのは、少数民族の説得に時が必要だったからである。
「手の者の半数は、荊州に散っているのだな、応真?」
「いまはすでに、半数以上を潜りこませております。
夷陵から江陵に至る呉軍の情勢は、手に取るようにわかります」
「おかしな軍の動きを、見逃すな、応真。
これからは、張飛軍が奇襲を受けることを、最も警戒しなければならん」
「そこに、一番眼を注ぐようにいたします。
いまのところ、正面から反撃しようという動きは、呉軍にはありません」
「心せよ。
父の弔いでもあるが、逸ってはならぬ。
まずは、敵をよく見きわめるのだ」
「心に刻みつけております。手の者たちにも、そう言い聞かせます」
応累は、軍人ではなかった。
だからその働きは顕著には見えはしないが、劉備軍の諜略や情報の収集を、すべて担ってきたのだ。
寡兵でも乱世を生き抜けたのは、応累の働きがあったと言っていい。
本陣の幕舎でひとりになると、劉備はいつものように江陵、武昌の周辺の地図に見入った。
江陵の地形は、細かいところまでよくわかっている。
攻め方も、考えてある。
落とすのに、それほどの手間はかからないだろう。
問題は、武昌だった。
(…この続きは本書にてどうぞ)