北方謙三
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三国志 六の巻
  陣車の星(じんしゃのほし)

曹操の烏丸へ北伐が成功し、荊州が南征に怯えるなか、
劉備は、新たなる軍師を求めて隆中を訪れる。
諸葛亮孔明――
“臥竜”と呼ばれ静謐の竹林に独りで暮らす青年に、熱く自らの意志を語る劉備。
その邂逅は、動乱の大地に一筋の光を放つ。
周瑜が築き上げた水軍を率い、ついに仇敵・黄祖討伐に向かう孫権。
父を超え、涼州にその武勇を轟かせる馬超。
そして、曹操は三十万の最大軍勢で荊州と劉備を追いつめる。
北方謙三の〈三国志〉第六巻。

陣車の星 目次
 辺境の勇者
 わが名は公明
 天地は掌中にあり
 知謀の渦
 橋上
 揚州目前にあり
辺境の勇者

木が、なにか言った。
声ではない。
言葉でもない。
しかし、はっきりと馬超の心になにかを訴えてくる。
斬らないでくれ。
そう言っているようだった。
もう五十年、自分はこの荒野で生き続けている。
地にしみたわずかな水を吸い、冬の寒さに耐え、夏の暑さで死ぬこともなかった。
それがなぜ、ここで意味もなく斬られなければならないのか。
命があるからだ。
馬超も、声にせずに答えた。
芽のうちに、踏み潰されて死ぬものもいれば、十年、二十年生きるものも、五十年生きるものもいる。
百年、二百年と生き続けるものもいるだろう。
しかし、命があれば、いつかは死ぬ。
命とは、そういうものなのだ。
馬超は、剣を構えている。
剣の先は、微動だにしない。
いや、馬超の全身が、石像のようにかたまっている。
石像でないことは、抑えきれない気迫が全身から滲み出ていることで、ようやくわかる。
俺と出会った。
そして、俺が斬ろうと思った。
つまり、そういう縁だ。
木は、沈黙した。
馬超も、それ以上は木と語ろうとはしなかった。
全身に、気力を漲らせた。
剣。
無意識のうちに、振りあげ、振り降ろしていた。
ほとんど、手ごたえはなかった。
鞘に剣を収め、束の間、馬超は立ち尽くしていた。
ゆっくりと木が倒れ、土煙が上がった。
涼州から、さらに西へ一千里ほどのところである。
五千の軍を率いて、敦煌からほぼひと月かかった。
西域長史府がある。
といっても、辺境である涼州の、そのまた辺境である。
かつて涼州に駐屯していた董卓は、ここで匈奴とのかなり激しい戦を繰り返した。
無論、都の威光など及ばず、都がどこなのかも知らないものばかりだった。
この地域にいるのは、匈奴だけではない。
眼が碧く、髪が茶色で、堀の深い顔をした少数民族もいる。
そのすべてをまとめているのが、西域長史府ということになっていた。
さらにその西へ行けば、どこまでも砂漠が拡がっているという。
砂漠の端の道なき道を通って、ここへは西からの隊商がやってくる。
涼州の人間はみんな、その隊商が運んでくるのは西域のものだと思っているが、ほんとうは、西域のさらに西から運ばれてくるのだっだ。
西域長史府は、毎年五千の兵を涼州に送ってくる。
董卓のころから、それが決まりとなっていた。
兵役は十年で、それを終えて帰っていく者は、一千にも満たなかった。
五千が十年だから、たえず五万の西域の兵がいる勘定になるが、実際は四万程度だった。
戦で、死ぬ者も多いのだ。
ふだんは、涼州を背にして、雍州との州境あたりに駐屯していることが多い。
つまり、長安を睨むという恰好である。
董卓が洛陽から長安に都を移し、雍州、涼州の力を背景にしたが、すぐに滅びた。
それからは、雍州の西部から涼州にかけては、都を誰が制しているかなど関係はなく、別の国のようにしてやってきた。
父の馬謄と韓遂が、いつかは力を分け合うようになっていたのだ。
西域から五千の兵を調達することは、三年前からは馬超の仕事になっていた。
行く時は五千で、帰りは一万を率いてくる。
途中で調練を重ねるので、涼州に入るまで三月かかった。
父の馬謄は、この二、三年ですっかり老いていた。
かつて父に義兄弟で、やがては互いに殺し合いを重ねた韓遂は、いまだに元気で馬を駆っている。
譚遂は涼州の東部の方にいて、一応は棲み分けはできていた。
馬超が幼いころの父は、それこそ仰ぎ見るほど大きく、強かった。
若いころ、木材を切り出しては担いできて売っていたという躰は、それこそ大木のようで、馬超がいくらぶつかっても、動きもしなかった。
その父と、肩を並べるようになったのは、いつごろからだったのか。
父は羌族の血を受け、馬超の母もまた羌族の女だった。
馬超の躰には、羌族の血が濃く流れている。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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