北方謙三
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三国志 三の巻
  玄戈の星(げんかのほし)

混迷深める乱世に、ひときわ異彩を放つ豪傑・呂布。
劉備が自ら手放した徐州を制した呂布は、急速に力を付けていく。
圧倒的な袁術軍十五万の侵攻に対し、僅か五万の軍勢で退かせてみせ、軍雄たちを怖れさす。
呂布の脅威に晒され、屈辱を胸に秘めながらも曹操を頼り、客将となる道を選ぶ劉備。
公孫瓚を孤立させ、河北四州統一を目指す袁紹。
そして、曹操は、万全の大軍を擁して宿敵呂布に闘いを挑む。
戦乱を駈けぬける男たちの生き様を描く、
北方謙三の〈三国志〉第三巻。

玄戈の星 目次
 光の矢
 情炎の沼
 原野駈ける生きもの
 追撃はわれにあり
 海鳴りの日
 滅びし者遠く
光の矢

風。
谷の下から吹きあげてくる。
身を切るように、冷たかった。
五斗米道が、漢中郡に入って、すでに九年だった。
その間、力は養ってきた。
漢中郡全域が、五斗米道の聖地のようにさえなっている。
乱を逃れ、あるいは貧しさに耐えかねて、漢中に流れてくる人の数も多い。
もう、負けるはずなどないのだ。
相手が誰であろうと、追い返せるという自信はある。
それにしても、母も兄も、劉璋という男を甘く見すぎてはいなかったか。
劉璋の父、劉焉が益州の牧としてやってきたのが、九年前だった。
そのころ、益州には豪族が多数いて、それぞれ勝手なことをやっていた。
民衆はその専横に苦しみ、五斗米道に帰依しはじめていたのだ。
兄の張魯が教祖で、母は教母と呼ばれていた。
五斗米道は、祖父の張陵からはじまっている。
信者に五斗の米を納めさせたのが、その名の由来である。
それ以降、父の張衡が継ぎ、そして兄の張魯の代になっていた。
三代の間、益州で徐々に広まっている。
母と兄が危機感を抱いたのは、同じ道教の一派である太平道が乱を起こし、黄巾賊と呼ばれた信者たちが、朝廷の軍勢に圧殺されそうになった時だった。
乱は全国に広がったが、やはり朝廷の軍勢には勝てはしなかった。
五斗米道もやがて、と母と兄は考えたようだ。
太平道が乱を起こしてから、この国には乱世の気配が漂いはじめた。
庇護する者を求める。
その考えで、母は皇室に連らなる劉焉に近づいたのだろう。
母は、年齢よりずっと若く見え、それは不思議な感じがするほどだった。
誰もが、美しいと称賛した。
劉焉はすでに老齢に近かったが、母の色香に惑わされたのかもしれない。
あるいは、母のなす巫術に惹かれたのか。
それまでただの監督官だった州の刺史を、軍事裁量権まで持った牧に格上げすることを朝廷に建議し、それが容れられると、自ら益州の牧を志願したのである。
それで益州の五斗米道は、劉焉の庇護下に置かれることになった。
漢中郡に拠って立て、と兄の張魯に勧められたのは、張衛自身だった。
漢中の守りが甘ければ、益州全体が危うくなる。
逆に漢中さえ固めていれば、益州は安泰である。
乱世の波に呑みこまれることもない。
張魯は、必ずしも劉焉に従順ではなかった漢中太守を、自ら討伐することを願い出て許された。
母がそう働きかけたからだる。
しかし、兄の張魯に、戦の裁量はできなかった。
漢中太守との戦のすべては、張衛自身が受け持った。
張衛は、漢中に攻めこんで数日でそこを制圧し、長安への唯一の道である谷の架け橋を切り落とした。
それ以来、朝廷との連絡は途絶えている。
あのころ、張衛は二十歳だった。
いまはもう、三十に近づいている。
漢中郡はすべて、五斗米道のものになった。
益州全体にも、五斗米道の力はかなり及んでいる。
劉焉が、道教を嫌う豪族を、ほとんど誅殺したからだった。
漢中で四万、益州全体で二十数万の軍勢を擁するようになった。
それは、袁紹や曹操や袁術をも凌ぐ軍事力だった。
ただ、劉焉には、益州を出て全国を平定する、という野心はなかった。
むしろ、益州だけをいつまでも孤立させ、やがて漢から引き離してしまおう、と考えているようだった。
それは、母の願いであり、張衛が考え続けていたことでもあった。
いつか、劉焉は、帝のごとく振舞うようになっていた。
その劉焉が死んだ。
劉焉を継いだ劉璋は、一年間は喪に服していた。
その間に、母と兄はやりすぎたのだ。
益州全体を五斗米道の国にしてしまうには、まだ力が不足していたが、民さえ信徒に加わってくれば心配ないという考えで、活発に動き始めたのだった。
劉璋には我慢できないことだったのだろう。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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