岳飛伝 十七
  星斗の章

梁山泊軍と金軍の果てしなく続く消耗戦。
その最中、戦場に切り込んできた史進は兀朮にとどめを刺すも、深手を負い戦線を離脱。
岳飛は南宋・程雲の首を獲り、臨安府に入る。
一足先に呼延凌と合流した秦容は、金の沙歇との最終決戦に挑む。
激動の中華の地で、国とは何かを問い、民を救うために崇高な志を掲げ、命を賭した漢たちの生き様を余すところなく描き切った中国歴史巨編、遂に完結!

星斗の章 目次
 幻王の空
 天機の光
 黄獅の風
 地飛の夢
 天魁の光

 
 幻王の空

双竜寨から、桓翔が一万を率いて北へむかった。
金国領である。
京兆府(長安)にいる三万も、『義勇』の旗を掲げて、東進をはじめている。
この三万は、五万にも六万にも達するだろうが、桓翔軍の指揮下に入り、別働隊として動く。
雄州にいた夏殃が、三万ほどを集めて燕京(北京)に迫っているという。
これも『義勇』の旗を掲げているが、呼延凌の指揮下である。
秦容は、三万を率い、少し南下してから、東へむかった。
臨安府を衝くという構えである。
岳飛も、二万で衡州を出て、北上をはじめた。
岳家軍が百名ずつ入っている各地の城郭では、それぞれ『義勇』の旗を掲げ、人を集めはじめている。
巴蜀(四川省地方)からも、『盡忠報国』の旗を掲げた二万が、長江(揚子江)を竹を組んだ筏で下ってきているという。
指揮は鄭建であり、成都府に入った時に、秦容も会っていた。
潭州出身だと、わけもなく誇らしげに言った男だ。
竹の筏は、相当に頑丈なものらしい。
それに、下りだった。
戦の様相が、ある時、がらりと変った。
岳飛と秦容が、臨安府を衝く構えで進み、それから一旦、それぞれの砦城に引き返した。
そこで、程雲が全南宋軍を率いる、というかたちで、姿を現わしたのだ。
程雲は、岳家軍との交戦で負傷したようだが、それをおして出てきた。
「俺たちの旗は、賑やかなことだな」
秦容は、『替天行道』の旗を見上げて言った。
「みんな同じなのだ、蒼翼。違う言い方をしているだけだな」
夜営だった。
敵は、まだ遠い。
このまま進んでも、あと三日はぶつからない。
「いま、長駆 隊から、知らせが入りました。梁山泊軍は、兀朮を討ったそうです。そして、史進殿が、相当の深傷を負われたようです」
桓翔が北へ行ったので、袁輝が副官の代りをしていた。
「十日も前のことで、その後の史進殿の生死はわかりません」
死ぬものか、と秦容は思った。史進の生と死は、いつも背中合わせだった。
生き ていれば、死なない。
それだけのことなのだ。
「金軍は、十万騎が十隊に分かれ、総帥は沙歇だそうです。
金主の海陵王は、後方に退がっています」
次には、もう少し詳しい報告が入るだろう。
呼延凌の戦も、そろそろ決戦に入るというところか。
決戦が数カ月も続いて、何万という兵が死ぬこともある。
魏庸と鄒明は、それぞれ一万の兵を率いて、いくらか離れたところで野営している。
「あの史進殿が深傷を負われたとは、どういう戦だったのでしょうか」
史進は、どこかの段階で戦場に突っこみ、兀朮にむかって駈けたのだろう。
そして、兀朮に届いた。
しかし、史進に届いた敵も、またいたということなのだ。
秦容は、史進が浅い傷を負ったのさえ、見たことがなかった。
赤く塗られたあの鉄棒が、敵が躰に触れることを許さなかった。
そしてそれは、史進の背負った、業のようなものにさえなっていた。
死にたくても、死ねない。
どれほどの同志の死を、史進は見続けてきたのか。
「史進という人は、それほど強かったのですか?」
蒼翼が、焚火の火をいじりながら言った。
炎が、一瞬だけ大きくなった。
「狼牙棍を持っていても、あの鉄棒には折られるかもしれんな」
「そんなに、ですか」
「いそうもない男。それがいるのだ」
「たまりませんね。あの狼牙棍だって、俺はいやですよ」
「闘うために、生まれてきたような人さ」
袁輝が言った。
赤騎兵ではなかったが、袁輝はもともと遊撃隊にいたのだ。
史進はただ強く大きな存在で、人として見ることさえできなかったのかもしれない。
「明日、また長駆隊が来ると思います」
そう言って、袁輝は立ち去っていった。
夜明けとともに、進発した。
秦容が率いているのは、一万だった。
騎馬は五千を超えているが、周辺にいるのは二百騎である。
原野は、枯れた色をしていた。
芽生えは、もう少し先である。
袁輝が、魏庸や鄒明の軍と、伝令のやり取りをしている。
両軍ともに、本隊から二里(約一キロ)ほどのところを、行軍してきていた。
空は晴れていて、乾いた風が吹いている。
十万を、五隊に分けた。
程雲は、そのどこにもいなかった。
百騎を率いて、石信の軍の中にいた。
盡忠寨を、攻めきれなかった。
後方や側面から、くり返し介入を受けて、攻めながら防備をかためなければならなかったからだ。 盡忠寨の守兵は一千ほどで、それを陥とせなかったことを、石信は恥じているようだった。
守兵の指揮は、岳飛の息子だったという。
そして外に、張憲の指揮する軍がいて、およそ三万ぐらいだろう、と見られていた。
まとまった軍ではなく、方々の城郭から出てきた岳飛軍に、周辺の民が集まってきたもので、奇襲や夜襲をくり返し、追えば散って逃げたのだという。
石信が、はじめにやっていた闘い方だった。
軍としてまとまりきれていない間は、そんなやり方しかなかった。
何度も岳飛に蹴散らされたが、そのたびにまとまりはよくなってきたのだ。
程雲もまた、恥じていた。
埋伏の軍がいることを考えず、岳飛を追ってしまった。
それを恥じた。
討たれそうになった時、陸甚が身代りになった。
それも恥じた。
自分には過ぎた副官だった、といまにして思う。
副官というよりも、戦友だったのか。
呼び戻した石信にむかって、口には出さなかったが、恥じた者同士で闘うのだと思った。
恥辱は、男を強くする。
石信は、不貞不貞しさはもう出さず、本来持っていた性格を見せるようになった。
緻密なのである。
大胆さは足りないが、臆病ではなかった。
そして五万を指揮しても、大きくは乱れない。
本隊を一万ずつ上級将校に指揮させたが、数万を指揮できるのは、翟光しかいなかった。
徐成は、あっさりと秦容に討たれた。
あっさり討たれたから、力の差が大きかったとは、程雲は考えない。
ほんのわずかな力の違い、運の差でも、討つ、討たれると分かれるのだ。
程雲が石信の軍の中にいるのは、最初だけのつもりだった。
本隊は、五万を翟光が指揮し、残りの五万は程雲自身が指揮するのだ。
石信の軍は、陸甚が育てあげようとしていた。
下級将校であったにもかかわらず、石信を指揮官に選んだ。
かつては石信の上にいた上級将校の、公孫圭と関構を、部下に持ってきたのも、陸甚だった。
思えば、陸甚が示唆した通りに指揮官たちを配し、それが間違いではなかった、という気がする。
石信の軍も、精強になりつつあった。
ただひとつ、粘りが足りない。
気持では退くしかないという時、躰が勝手に踏み留まる、ということができなかった。
決戦の最初の段階で、それを身につけさせたかった。
そのために、前衛になる位置に、石信の軍を置いている。
そして、程雲自身が、一戦か二戦、指揮するつもりだった。
「公孫圭、おまえはなぜ、上級将校になれたのだ?」
たまたま通りかかったので、程雲は呼び止めて、そう言った。


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