岳飛伝 八
  龍蟠の章

『飛』の旗を掲げた岳飛のもとに、かつての仲間、孟遷や于才も加わり、さらに梁山泊からの援助を受けつつ、本格的に岳家軍が再興されていく。
金国と講和した南宋は、韓世忠率いる水軍が、次の相手を梁山泊水軍と見据え準備を始めていた。
南方では南宋軍が阮廉の村を襲い、岳家軍と衝突し惨敗したが、景隴に寨を築く。
ついに小梁山の秦容も守りを固めるため調練を開始する。
深慮遠謀の第八巻。

転遠の章 目次
 徐寒の火
 呉買の火
 天捷の光
 地劣の夢
 鳳茫の宙
 
 徐寒の火

淮水の北部地域の治安は、南宋との講和が成立してから、格段によくなった。
軍が、賊徒の討滅に力を入れたのも、大きいだろう。
淮北一帯を統轄する軍が置かれ、指揮官は訥吾である。
戦を経て、金軍はしっかり整備し直された、と蕭炫材の眼には見えた。
有力な将軍も、戦によって育った。
開封府に新たに設けた、轟交賈の一室で、蕭炫材は斡屠とむかい合っていた。
卓の上には、金国の地図が拡げられている。
地図には、網の目のように線が描かれ、ところどころに丸印がある。
それは三百近くあった。
轟交賈は、金国内の輸送を管轄するところからはじまった。
西域などから運ばれた荷を、輸送路に乗せる。
金国内の物資も集める。
街道を通る荷から、税を徴収するなどということを、街道の管理権を与えられても、蕭炫材は一切考えなかった。
街道と街道を繫ぐ輸送路を、整えただけだった。
それが地図上の網の目である。
そして、輸送を生業とする組織を作った。
難しいのは荷主の信用を得ることだったので、はじめは斡屠が二千の部下を遣ってやった。
事故は一件も起きなかった。
二千を六千の組織にした時、事故が起きれば補償をする、という仕組みを作った。
わずかな銭を払っておけば、荷が失われた時、同額の銀が 返されるのである。
六千の組織は、二千がもとになっていて、ほぼ軍のようなものだった。
指揮官の下に、数名の上級将校、二十数名の将校がいる。
命令は、絶対的に兵にまで通る。
場合によっては、戦も辞さない。
ただ、それ以外のところでは、それぞれが生活を持っている。
家族を抱えている者もいれ ば、ひとりで商売をしている者もいた。
ここまで作りあげるのに、相当の時を要した。
はじめは、蕭炫材ひとりの仕事だったが、やがて撻懶が、国の事業に準ずるものにした。
「梁山泊の力が、これほどのもの はな」
蕭炫材は、三百近くの丸印から眼を離せずにいた。
自由市場が立った場所であり、その中のかなりの部分には、これからも立つ。
斡屠が、輸送路を整備したり、実際に輸送したりする過程で、これを調べあげていた。
梁山泊は、金国の輸送隊も平然と遣う。
現在は講和中であり、それを咎める理由はなかった。
自由市場は、会寧府の近辺でも立っている。
「南宋の自由市場は、こんなものではありませんよ」
「だろうな。 中華一帯が、梁山泊の物資で覆い尽されている、というわけではあるまいが」
穀物などの生産そのものは、金国や南宋の領土内で行われている。
梁山泊には鉱山もなく、塩もない。
生産物は 国内で遣われてしまい、外へ売るものはさほどない。
牧の馬などを売っているというが、それはたかが知れているだろう。
外から外へ、大量の物資を動かす。
梁山泊のやり方はそうで、だから弱点があるはずだと、蕭炫材は長い間、考え続けてきた。
それは見えず、見えないまま、梁山泊は南で甘蔗糖の生産をはじめた。
甘蔗糖と昆布の交易だけで、金国全体の交易量の二倍はある。
おまけに、西域からの厖大な物資だっ た。
西域には、蕭炫材も隊商を出してはいたが、梁山泊の交易とは較べようもない。
「梁山泊の荷らしいものを、うちの輸送隊で運びます。
それが、半分に達しようとしているのです、蕭炫材殿。
いま荷を引き揚げられたら、こっちがあがったりです。
これまで荷を運んでいた梁山泊輸送隊の一部は、どうもひそかに穀物などを運んでいるのではないか、という気がします」
「つまり、兵糧を運んでいる、ということだな。戦で ないのに」
「南宋でも、同じことが起きています、多分」
「あっちには、 輸送隊はない」
「ですから、こちらで余った輸送隊が、あっちで動いているのではないでしょうか」
「梁山泊は、戦仕度か」
そういう動きについては、はっきりしたものだけは、撻懶にも伝えてある。
  轟交賈では、ようやく各地の荷を差配できるようになっていた。
いま金国内では、物資が活発に動いている。
戦になれば、その動きが兵糧というひとつの方向に行くことになる。
戦が、いいとも悪いとも、蕭炫材は考えていなかった。
その場でできる商いをする、ということをずっと続けてきたのだ。
独立不羈の思いは、強かった。
それでも、金国のために働こう、とはしてきた。
自分を育ててくれたのは、この大地なのだ。
撻懶と手を組むことになったのは、商いの規模を大きくしなければならなくなったからだ。
ひとりの力には限界があり、国の持つ規模が、商いにも必要になった。
本来なら、国の交易策の中で動く、ひとりの商人でよかった。
それでじっとしていられないなにかが、蕭炫材の中に溜り、溢れかかっていたことも事実だ。
「斡屠、梁山泊は四囲が敵になる、という危機をいつも孕んでいる。
そしてよほど攻めこまれないかぎり、梁山泊の領土で戦をしようとも考えていない。
ならば、兵糧が必要になるのはわかる。
しかし、輸送隊でひそかに運んで、どれほどのものが運べる。
戦が、そこで起きるとは、決まっていないのだ」
「兵糧が蓄えられている場所は、特定できていません、蕭炫材殿」
「われらが、それを特定することは ない。われらがなすべきことは、ほかにあるのだ、 斡屠」
「輸送隊があげる利は、かなりのものになっています。 道さえあれば、 どんなところにも届けられるのですから」  
斡屠は、軍にいれば、すぐにでも上級将校になれる男だろう。
父が、六歳の斡屠を、山中で拾ってきた。
名さえわからず、斡屠と刻まれた短剣を持っていたので、それが名になった。  
それからずっと、兄弟のように育った。
父が分け隔てをすることはなかっ たので、ほんとうの兄弟のようだったが、斡屠はいつも、兄である蕭炫材を立てた。
  輸送隊の人員はもっと増え、一万に達することになっているが、斡屠の指揮については、なんの懸念もなかった。
轟交賈では、いまどこかで買った物を、別のところで売る、ということを盛んにやっていた。
なんであろうと、不足しているところでは値が高い。
余っているところから不足しているところへ運べば利が出るのは、商売そのものだった。
それを大規模に、南宋の商人にまで及ぶような規模でやっている。
市場を経ない取引なので、利は大きかった。  
轟交賈は、中華全土でのその物資の動きを、統轄していた。
梁山泊聚義庁が、長くやってきたことを、ようやくはじめられたのだ。
「そろそろ、風玄を遣ってみようと思うのだ、 斡屠」
「馬行街の、薬種屋」
「金国には、魯逸殿が作りあげた、闇の組織があるが、ほとんど政事と他国の情勢を探るのが主たる任務だ」
「わかりました。 商人を調べるのですね」
「特に調べたい者が、数名いる。 その中でも、南宋漢陽の商人である、梁興については必ず知りたい」
「わかりました」
「依頼は、私がする。 しかし風玄の手の者を数名、輸送隊に入れなければならない。
私がいま知りたいのは、大量に流れこんできている甘蔗糖を扱っているのが 誰 か、ということだ」  
梁興という商人は、なんでも扱う。
昆布も扱っていたが、いまは配下の商人に任せ任せているという感じだ。
長江(揚子江)の上流地帯に運ぶだけの仕事なので、そうしているのだろう。



(…この続きは本書にてどうぞ)
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