悪党の裔 下

苦闘の末、倒幕はなった。
だが恩賞と官位の亡者が跋扈する建武の新政に、明日があるとは思えなかった。
乱がある───播磨に帰った円心は、悪党の誇りを胸にじっと待つ。
そして再び、おのが手で天下を決する時はきた。
足利尊氏を追って播磨に殺到する新田の大軍を、わずかな手勢でくい止めるのだ。
赤松円心則村を通して描く渾身の太平記!

<単行本>1992年11月 中央公論社刊
<文庫本>1995年12月 3日 初版発行

白き旗のもと

急いではいなかった。
できることなら、もっと多くの時をかけたかった。
いまひとつ、読みきれないところがある。
わずかな読み違えが、一門の破滅に繋がりかねなかった。
病中の出陣であるという理由で、足利高氏はしばしば行軍を停めていた。
幕府から目付の役を負わされた、もう一方の大将名越高家も、高氏の病を気遣って、特に異を唱えようとはしなかった。
病は、癒えている。
それを、高氏は隠していた。
もともと、いくらか風邪をこじらせた程度だったのだ。
待っているものがあった。
しれは、京に入る前に手に入れたい。
それを手に入れたからといって、なにかがすぐに変わるわけでもなかった。
一応、両端を持しておきたい。
鎌倉の幕府の命に従いながら、それが本意ではないということを、船上山の帝にも知らせておきたい。
この数ヶ月、高氏は畿内を中心とした反乱の情報を得ることに腐心していた。
楠木正成が、金剛山千早城に拠って、抵抗を続けている。
赤坂城が落ち、死んだという噂まで流れた楠木正成が、一年ほど後にふたたび千早城に拠り、すでに数ヶ月耐え続けていた。
二十万を超える攻囲軍が、千早城ひとつを落とせずにいるのだ。
そして播磨で、赤松円心という悪党が挙兵した。
赤松円心は風のごとく摂津に進攻し、一度は京まで攻めこんだという。
いまも、摂津から京を窺がう気配である。
これまでの叛乱とは、どこか違った。
特に赤松円心の動きは、いままでの叛乱には見られなかったものである。
内海でも、九州でも戦があったという。
そして、隠岐に幽閉中だった帝が、脱出し、伯耆船上山に現れたのである。
各地に、決起を促す綸旨が発せられているという。
叛乱が連鎖し、大きな波に乗ろうとしている、というように高氏には見えた。
幕府は、千早城さえ落とせば、叛乱の根は断てるといまだに考えていた。
帝が船上山にいるなら、それはすぐに落とせばいい。
千早城ほど手強いことはあるまい、と誰もが考えていた。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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