独り群せず 

大塩の乱から二十年余年。
剣を揮う手に庖丁を持ちかえ、既に船場の料亭「三願」からも隠居を決め込んだ利之だが、乱世の相は商都・大阪にも顕われ始め、時代の奔流が、穏やかに暮らす利之を放ってはおかなかった・・・。
信念に基づき命を賭す男たち。
『枕下に死す』の続編となる歴史長編。
舟橋聖一文学賞受賞作


<文庫本>2010/07/10 初版発行

川縁りの家

浮子は利之の手製だった。
釣る場所によって、時刻によって、浮子は変える。
河口近くだと鱸がくることがあり、その時は竿も丈夫なものにする。
つまり、釣りに凝りはじめたのだ。
囲碁などに誘われたこともあるが、大して興味は湧かなかった。
いまは、板場に立つこともあまりない。
三願の板場は、いつも気持ちよくひきしまっていた。
利之が板の前に立つことで、それ以上の緊張を与えたくない、という思いもある。
頭は、直治で充分だった。
それでも、時には板場に出て、若い者を叱りつけることもある。
直治は、むしろそれを望んでいるようでもあった。
「釣れたかね?」
声をかけられた。
時々、この場所で会う老人だった。
名は知らない。
町人ではなさそうだが、武士の隠居とも言いきれない、洒脱な雰囲気を持っていた。
「ほうほう、なかなかの鮒が五、六枚か。捨てたもんではないな」
老人は、利之の魚籠を覗きこんだ。
言葉に、上方の訛りはない。
といって、江戸弁という感じもしなかった。
「餌は、やはり団子か」
「この場所では、そうですな」
団子といっても、蒸す前のものである。
それを少し乾かし、鉤につける。
水の中でそれは徐々に溶けて拡がっていくる。
鮒や鯉は、それを喫いこみ、最後は鉤まで喫いこむのだ。
数田屋の親方だった、伊平に教えられた餌だ。
流れの緩い場所でしか使えない。
流れの強いところでは、蚯蚓や虫を餌にする。
河口で鱸を狙う時は、先に沙魚のような小魚を釣り、それを鉤につけて泳がせるのだ。
利之に料理というものを、そして釣りを教えてくれた伊平が死んだのは、十六年前だった。
利之は三願に戻り、まず脇板に立った。
板前は充分に利之がやっていけると認めたが、脇板で二年やり、三願の料理のすべてを躰に叩き込んだ。
お勢の夫である。
はじめから三願の板前として立っていれば、誰もが遠慮しただろう。
伊平の下で、朝から晩まで料理を作り、怒鳴られ、時には顔を張られなあら修行した七年間は、料理人としては貴重な時だった。

(…この続きは本書にてどうぞ)

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